9.11.2012

バイリンガリズム4~現地校(小学校)~

小学校から高校までの12年間すべてサンディエゴ市立の学校に通いました。受験がある日本とは違い、高校まである意味「エスカレーター式」です。好きな友人も嫌いな同級生も全員エスカレーターで上がっていきます。

さて小学校時代の私の英語力・日本語力はどうだったのでしょうか。

記憶や昔話を頼りに話をします。

1.5歳
公立のキンダーガーデン(小1の前の学年)に通い始めました。これは朝登校し正午くらいに授業が終了するので、日本でいう幼稚園みたいなイメージです(でも1年しか通わない)。このときに授業参観のときに挙手して先生の質問に答えていたそうです。しかし、この頃は英語と日本語を混合してしゃべっていたらしく、母はこれを厳しく注意していたそうです。

2.5歳半
妹が生まれたため日本から母側の祖父母がサンディエゴに応援にきました。このとき、近所の女の子と祖母との簡単な会話を「同時通訳」していたそうです。

3.7歳
初めて日本の小学校に体験入学しました。和歌山の田舎だったので完全な関西弁です。言うまでもなく2ヶ月の滞在のあとは私も完全な関西弁になっていました。日本の小学校の友人は学校での約束事やしきたりなどいろいろなことを教えてくれました。本人的には日本語の会話力はあまり劣らないと思いましたが、何よりも驚いたのがみんなの字のうまいこと!やはり毎日書いているから書字能力に格段の差がありました。私は結局大学入学後も字があまり上手ではありませんでしたが、日本で大学に入学してからは日本語をたくさん書くようになり、なぜか最近は「医者にしては字がうまい」と言われるように(ほめられているのか、そうではないのか?)。また、このときの小学校の友人らとは中学くらいまで頻繁に文通をしていて、このような交流も日本と私をつなぐ重要な架け橋だったと思います。

4.9歳
現地校で毎日一緒に遊ぶような仲良しの友人ができました。その子は完全なアメリカ人で、もちろん二人の会話はすべて英語。その子はまったく遠慮をしないタイプで、私の英語の文法を直してくれました。ようは、2歳から英語をしゃべり始めたはずなのに、私は9歳の時点でまだ耳障りな文法の間違いをしていたということです。

5.10-11歳
引き続く同じ友人と仲良くしていました。その子のご両親には大リーグの試合に連れていってもらったり、週末はお泊りをさせてもらったり、ご飯を一緒に食べたりとかなり濃密にお世話になりました。おそらくこの頃からかなり英語が堪能になっていったと思います。しかしその頃の記憶として印象に残っているのが、何かこぼしてしまったときに英語で「シミ」という単語を思い出せなかったということです。知っている単語(stain)なのに、私は日常生活を日本語で送っていたため、stainという単語がぱっと浮かんできませんでした。
単に私の言語発達が遅かっただけかもしれませんが、小学校高学年でやっと英語を学年通りのレベルでこなせていたのではないかと思います。

よく聞くのが「うちの子はアメリカに住み始めて半年で英語がぺらぺらになっていた」などということですが、それはおそらく間違いではないかと思います。やはり会話力、聴解力、読解力、書字力のすべてをマスターしようと思うといくら子供でも2-4年かかると私は思います。我が家でも一年間フランスに住んでいたことがあり、その一年の間に子供たちはかなりフランス語がうまくなりましたが、文法や語彙力に関しては現地の子供たちと最後まで格段の差がありました

次回はバイリンガル教育における親の役割。ソフト面。




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