9.15.2012

バイリンガリズム7~現地校(中学・高校)~

今回はバイリンガリズムとはほぼ無関係。

私がアメリカの公立中学・高校に通っていて一番気に入った点は、一日6限あるうち、全部選択制だったということです。数学1時限、国語1時限、体育1時限、社会1時限、理科1時限、外国語1時限などとおおまかに科目は決まっているのですが、その中で体育以外は選択肢がとにかく多い!

中学1年生のときの話を例に挙げます。

例1(数学):年度初めに算数のテストを受けました。点数のよい生徒はいきなり中学2年生の授業を受けることになりました。私は一学年上のお兄さんやお姉さんたちと一緒に自分のレベルに合った授業を楽しく受けました。ちなみに、そうすると高校3年生に入ったときに学校で受けることができる数学がなくなりますよね。なので高3のときは数学を受けなくてもよくなるのですが、私は地元の大学に行って夜間授業で数学を受けていました。
例2(フランス語):外国語はフランス語とスペイン語から選ぶことができました。南カリフォルニアはメキシコが近接しているため、ほとんどの生徒がスペイン語を選ぶ中、私はフランス語を選択しました。これは結局生涯一番好きな科目となり、高校までの6年間+短期留学2回+INSEAD留学につながった選択でした。
例3(社会):社会は中1で全員受けなければならない授業だったのですが、これが2-3レベルに分かれていて本人が選択することができました。自分のレベルは自己申告制なので、学期初めは自分に合ったレベルを探し求めてクラスを変更する生徒がたまにいます。

日本では学校ごとに偏差値が違いますが、私が育った環境では一つの学校の中でかなり個々間の「偏差値」に差があったはずです。

日本ではあり得ないタイプの授業なのでここで紹介すると面白いもの。
  •  タイピング(パソコンのキーボードを打つ練習をする)
  • 運転免許学科授業
  • 社会学習(学校を1時間早退してアルバイトに出かける。この場合、ファーストフードなどのアルバイトでもよいのか、あるいはもっと知的な仕事でないといけなかったのか記憶にありません。
  • 高校の単位を取得できるのはもちろんのこと、年度末の試験で好成績をとったらそのまま大学の単位にもなるという優れものの授業。フランス語、化学、物理、数学、国語、社会、美術史などバラエティに富んでいる。
ちなみに、まじめな高校生だった私は高校3年生の頃には単位を結構揃えてあったので、高3の後半は一日4時限しか受けなくてもよい状態でした。日本でいうと大学のような雰囲気ですね。

ちょっと脱線しましたが、このような自由な環境のもとアメリカで教育を受けました。
次回バイリンガリズム、どのようなバイリンガルを目指すか?ということに言及します。
 

9.14.2012

21世紀的子育て

バイリンガリズム、少しお休みして最近私が馴染もうとしているiPadやパソコンに依存する生活について。

iPadもさることながら、パソコン自体なくてはならない今日この頃です。私のことを個人的に知っている方は私がいかにIT音痴かご存知だと思います。
  1. 本は文庫本が好き。iPadやKindleで読むなんてもってのほか。実際ページをめくる行為をしないと本を読んでいる気がしません。
  2. 頑張ってiPodに入れた音楽。3年前から更新していないのでずっと同じ音楽を聴いている。
  3. この度WindowsからAppleに乗り換えようという無謀な計画。Interfaceに慣れるまで個人レッスンに通わないといけないかもしれない。
  4. シンガポールのケーブルテレビ。どの番組が何時に流れているかいまだに分からないのでここ2年近くテレビを観ていない。
しかしこんな時代逆行型ママの子育てに物申すかのように,、子供たちの生活はどんどんハイテク化していく始末。

小学校4年生の宿題にインターネットが不可欠な件。
みなさんはいつごろから毎日メールをチェックする生活を始めましたか?私自身はおそらく20歳くらい。大学入学時に@u-tokyo.xx.xxなどというメールアドレスはもらいましたが、確か自分の家にパソコンを購入し、インターネット環境を整え、現在愛用している@hotmail.comのアドレスで頻回なメールのやりとりを始めたのはもっと後でした。

そんな親なのに。

子は7歳(昨学年度)にして学校からメールアドレスを与えられ、宿題はインターネットの掲示板や直接のメールで知らされ、そして多くの場合サイバー提出されます。授業の一環としてマックの使用を教わります。昨晩の宿題は彼自身のメルアドに送られ、メール中のYoutubeのリンクをクリックして2つの異なるパフォーマンスを鑑賞し、別のメールで送られてきたアンケート式の質問票に答え、それを送信して提出するものでした。

先生方も授業や宿題のIT化を歓迎していて、明らかなペーパーレス化が見受けられます。パソコンしか使用しない授業では困りますが、そこらへんは先生も心得ていて、ちゃんと紙の宿題も出ます。

中学に入るときにはマイノートがないとかなり厳しい世の中です。

iPadがあるといろいろと助かる件。
ずっと「反IT派」だった私もついにiPadを受け入れることにしました。外食をする際にiPadを与えておくと静かに待っていてくれるし、ケンカが減ります。ただし、リミットレスに使用させるとさすがに頭が悪くなりそうなので、友人に教えてもらったTimeLockというappで一日に一時間の使用に制限しています。これがなかなかの優れもので、一日のうちに親が設定した時間しかiPadが使用できなくなります。

落とし穴:TimeLockはiPadを消してくれるわけではない。そして最近発見した次男の行為。TimeLockのポップアップがしつこく3秒ごとに表示されるのに、さらにしつこく3秒ごとにそれを消しながらゲームを続ける彼。手ごわい.....

ITとうまく付き合うコツなどありましたら教えてください!

9.13.2012

バイリンガリズム6~親の役割(ソフト編)2~

バイリンガリズムシリーズ前回の続き。親は子供の心理をどう突けばよいのか。

2.ジャパニーズ・スペリオリティ
さて赤○新聞の見出しようですが、決してそのような要素はありませんのでご安心を(笑)。この言い回しは在日の友人が使用していたのでそのまま引用させてもらいました。

このコンセプトはうまく使えばかなり有効です。

海外で子供を育てる上で親はやはりminor languageを重点的に強化していかなければなりませんが、人間はもともと楽をしようとする動物なので、特に子供だと周りよりも努力することがなんだか面倒になりがちです。そんな中、「日本って国はすごいんだぞ」という印象を子供に植え付けておくと後々子供のほうから努力するのではないかと考えています。

具体的に、我が家では父が日本製のものがいかに優れているかをよく語っていました。自動車、マンガ、電化製品。母は日本の洋服は仕立てがよいとか、サービスが行き届いているなどと教えてくれました。最近でいうと2011年の東北地方太平洋沖地震および津波で被害に遭った東日本の人たちの震災後の紳士的な態度は世界でもめずらしいほど評価注目され、日本人として誇りに思いました。2005年アメリカのハリケーン・カトリーナで、アメリカ政府の震災後の対応遅延が甚だしかったとはいえ、食料品や医薬品の略奪行為やレイプなどが報告されたのとは大違い。やはり日本はいい国です。

ここで注意しなければならないのは、日本をより持ち上げるために外国を見下すようなことを言っては子供が混乱するということです。子供はその外国には自分の意志で来ているわけではないし、その外国にすでに愛着が湧いているかもしれないし、公平な判断を今後子供自身で下すべきだと思います。

(先日ゲームセンターで長男次男がゲームの番待ちをしていたのに、シンガポール人の子供たちがなかなか交代しないので、ついつい日本語で「だからシンガポールの子供たちはだめなのよ」と言ってしまいましたが、言った直後に後悔しました。シンガポールの子供たちのほうが日本の子供たちほどは遠慮がないことは確かですが、それは実際良くも悪くもあって、可愛げがあってよい場合もたくさんあります。)

しかしこのコンセプトを乱用すると、逆に子供が外国の環境に馴染めなかったり、自分が住んでいる外国をバカにしてしまったり、なぜ自分はこの外国にいるのだろうか、日本に帰りたいなどと考え始めてしまうので、さじ加減が難しいと思います。

私の場合はちょうど良いさじ加減で日本の素晴らしさを教えられ、さらには祖父母からたくさんのものを学び、日本で体験入学した小学校の友人からは大事にされました。このような流れの中で高校卒業間近、大学を決める際に「おっと、自分は55%日本人なのに日本に住んだことがない」ということに気づき、日本の大学に進んだのでした。大学での体験はまた別の機会に。

そして最後に2012年のアメリカ。お寿司は「おしゃれで健康的な食べ物」としてどんどんチェーン店が展開され、日本のアニメは翻訳されアメリカのケーブルテレビで毎日流され、日本人は「行儀のよい」国民、日本は「安全できれいな国」というイメージ。わざわざ船便で送ってもらわなくても、インターネットで日本のテレビ放送を毎日観ることができる。1970年代とは大違い。

きっと外国で子供をバイリンガルに育てるのは昔より簡便になっているはず。同志のみなさん、ぜひ頑張りましょう。親の役割「ソフト編」終了。そのうち「ハード編」をお送りします。

9.12.2012

バイリンガリズム5~親の役割(ソフト編)1~

バイリンガリズムシリーズ。

私のようにアメリカで育った日本人の場合、「母国語=日本語」の社会的地位は最終的なバイリンガル到達度に大きな影響を及ぼします。

例えば日本国内でアメリカ人の子供を育てる場合、全世界における英語の社会的地位や将来的な利便性が高いため、きっと日本の公立小学校に通わせたとしてもそれほど英語力保持に苦労しないのでは。逆に、アメリカで日本人の子供を育てる場合、英語のほうが便利だし面倒くさい漢字テストもないし、どうしても日本語離れが生じやすくなります。

実際に外国で子供たちをバイリンガルに育てる際に親は何に注意したらよいのか。今回は私の経験より、ソフト編。

1970年代のアメリカ。日本の高度経済成長期後とはいえ、日本の文化が真の意味で世界に広がるのはもっと後のことです。Progressiveなアメリカ人は違ったかもしれませんが、ちまたのアメリカ人(子供)にお寿司は'raw fish'と気持ち悪がられ、日本のアニメやマンガはまだまだ浸透しておらず、国籍を聞かれるときはまず'Are you Chinese?'と聞かれる世界。戦争の色こそは残っていないものの、日本の知名度や日本の国としての社会的地位がまだまだ低かったという印象です。テレビで日本語放送はほとんどなく、おばあちゃんにビデオテープ(VHSではなく、なんとベータ。誰か覚えています?)に「日本昔話」と「サザエさん」を録画したものをまとめてダンボールで送ってもらっていました。

こんな日本が遠い環境の中、特に子供にとってはむろん英語がmajor language、日本語がminor languageになりがちです。

そんな中、日本語教育をプッシュしようとする駐在員親!子供たちが日々英語で生活する中、家では日本語をしゃべろうと親は努力しますが、なかなかうまくいきません。

親の考えていること:
  1. 将来日本に帰ったときに学校でいじめられないようにしっかりと日本語教育をしなければ
  2. でもせっかくアメリカにいるのだから英語もしっかりと勉強させなければ

子供の考えていること:
  1. なぜ自分だけ現地校+補習校の2つの学校に通わなければならないのか
  2. 土曜日はサッカーや野球の試合がある日なのに、自分だけ補習校に行かないといけないから参加できない
  3. アメリカ人の子供たちは放課後遊び呆けているのに、自分だけ日本語のドリルや宿題がやたらと多い
  4. アメリカ人の子供たちは約3カ月の夏休みがあるのに、自分だけその中の1カ月は日本で小学校に体験入学しなければならないのはなぜか

ちなみに、私個人的には子供のとき一瞬だけ#2は脳裏をかすめましたが、その他はあまり考えませんでした。もともと物事を深く考えない性格も手伝ってか、あまり疑問に思わずに親に差し出されたドリルをこなし、夏休みに入ったら喜んで日本の小学校へ体験入学していました。

それはいったいなぜか。今日紹介する理由は2つ。

1.アイデンテティはずっとなんとなく日本人だった。
「なんとなく」というのがミソで、パーセンテージでいうと今も昔も55%日本人、45%アメリカ人だと思います。10%の違いはまず自分にかっこいいアメリカ人名(AshleyとかBarbaraとか?)がないこと、および自分にアメリカ国籍がないことが関与しています。この10%がすごく大きな意味を占めていて、これがあるからこそ現在私はこのブログを英語ではなく日本語で書いているのだと思っています。

もし両親が「現地校に馴染むために」なんだかかっこいいクリスチャンネームをつけていたら子供の私はもっとアメリカ寄りになっていたかもしれません(別にアメリカ寄りが悪いわけではないけれども、バイリンガルに育つ上では障害が増える)。さらに、我が家は永住権までは取得したものの、アメリカ生まれの妹以外は日本人のままです。これを両親が「将来アメリカで仕事をするときに有利だから」などという理由で日本人パスポートからアメリカ人パスポートに切り替えていたら私を取り巻く現在の環境は大きく変わっていたと思います(ちなみに、ちょっとズルですが、日本のパスポートを放棄せずにアメリカのパスポートも同時に取得できるそうです)。

今ふと思い出したのですが、小さい頃和歌山で祖父母の家に夏休み期間中滞在しているときに私が「自分はアメリカの子」と言ったら、おばあちゃんが「ちゃうで~、あっこちゃんは和歌山の子やで~」と言ったのを思い出しました。こういうふとした一言もなんとなく私のアイデンテティ構築に関与したのかもしれません。

次回に続く。

9.11.2012

バイリンガリズム4~現地校(小学校)~

小学校から高校までの12年間すべてサンディエゴ市立の学校に通いました。受験がある日本とは違い、高校まである意味「エスカレーター式」です。好きな友人も嫌いな同級生も全員エスカレーターで上がっていきます。

さて小学校時代の私の英語力・日本語力はどうだったのでしょうか。

記憶や昔話を頼りに話をします。

1.5歳
公立のキンダーガーデン(小1の前の学年)に通い始めました。これは朝登校し正午くらいに授業が終了するので、日本でいう幼稚園みたいなイメージです(でも1年しか通わない)。このときに授業参観のときに挙手して先生の質問に答えていたそうです。しかし、この頃は英語と日本語を混合してしゃべっていたらしく、母はこれを厳しく注意していたそうです。

2.5歳半
妹が生まれたため日本から母側の祖父母がサンディエゴに応援にきました。このとき、近所の女の子と祖母との簡単な会話を「同時通訳」していたそうです。

3.7歳
初めて日本の小学校に体験入学しました。和歌山の田舎だったので完全な関西弁です。言うまでもなく2ヶ月の滞在のあとは私も完全な関西弁になっていました。日本の小学校の友人は学校での約束事やしきたりなどいろいろなことを教えてくれました。本人的には日本語の会話力はあまり劣らないと思いましたが、何よりも驚いたのがみんなの字のうまいこと!やはり毎日書いているから書字能力に格段の差がありました。私は結局大学入学後も字があまり上手ではありませんでしたが、日本で大学に入学してからは日本語をたくさん書くようになり、なぜか最近は「医者にしては字がうまい」と言われるように(ほめられているのか、そうではないのか?)。また、このときの小学校の友人らとは中学くらいまで頻繁に文通をしていて、このような交流も日本と私をつなぐ重要な架け橋だったと思います。

4.9歳
現地校で毎日一緒に遊ぶような仲良しの友人ができました。その子は完全なアメリカ人で、もちろん二人の会話はすべて英語。その子はまったく遠慮をしないタイプで、私の英語の文法を直してくれました。ようは、2歳から英語をしゃべり始めたはずなのに、私は9歳の時点でまだ耳障りな文法の間違いをしていたということです。

5.10-11歳
引き続く同じ友人と仲良くしていました。その子のご両親には大リーグの試合に連れていってもらったり、週末はお泊りをさせてもらったり、ご飯を一緒に食べたりとかなり濃密にお世話になりました。おそらくこの頃からかなり英語が堪能になっていったと思います。しかしその頃の記憶として印象に残っているのが、何かこぼしてしまったときに英語で「シミ」という単語を思い出せなかったということです。知っている単語(stain)なのに、私は日常生活を日本語で送っていたため、stainという単語がぱっと浮かんできませんでした。
単に私の言語発達が遅かっただけかもしれませんが、小学校高学年でやっと英語を学年通りのレベルでこなせていたのではないかと思います。

よく聞くのが「うちの子はアメリカに住み始めて半年で英語がぺらぺらになっていた」などということですが、それはおそらく間違いではないかと思います。やはり会話力、聴解力、読解力、書字力のすべてをマスターしようと思うといくら子供でも2-4年かかると私は思います。我が家でも一年間フランスに住んでいたことがあり、その一年の間に子供たちはかなりフランス語がうまくなりましたが、文法や語彙力に関しては現地の子供たちと最後まで格段の差がありました

次回はバイリンガル教育における親の役割。ソフト面。




9.10.2012

バイリンガリズム3~二重学校生活~

私が1歳そこそこのときにアメリカに移住した我が家。通常の日本人駐在員は3-7年で日本に帰国するのですが、我が家は途中で永住権を取得し早々から永住体制。私は当然の如く地元の幼稚園や小学校、中学校、高校に通っていました。最初に英語に触れたのは2歳台、地元のプレスクールに通い始めたときでした。母と初めて離れることになった私は2週間ぶっ通しで号泣していたようです。

サンディエゴには土曜日のみ通う日本人用補習授業校「みなと学園」はあるのですが、全日制の日本人学校はありません。つまり、パリやシンガポールやジャカルタには日本と同じ義務教育を受けられる学校(月曜日から金曜日、あるいは土曜日まで毎日通う)がありますが、ロサンゼルスやサンディエゴには補習授業校しかありません。したがってサンディエゴの日本人駐在員は子供を「現地校」に通わせながら土曜日はみなと学園に通わせていました。

このように、私はごく普通にサンディエゴの地元公立学校に通いながら、土曜日はみなと学園に通うという二重生活を高校卒業直前まで送りました。月曜日から金曜日までは英語生活(家では日本語)、土曜日は日本語生活、日曜日はオフ(笑)。

そして最終的にはいろいろな理由があって日本の大学に通い、現在は家なき子のように様々な国を転々としている状態です。

小さい頃は英語や日本語の宿題をする他に、教育者の母が日本で購入してきた国語のドリルを日々こなしていたようです。また、小学校のときは現地校が夏休みに入ると即単独日本に飛び1ヶ月間だけ母の実家がある和歌山県桃山町(現在は紀の川市)の公立小学校に体験入学をさせてもらいました。高校卒業と同時にアメリカの大学へは進まず、日本の大学を受験することを自分で決めました。

このように、小さい頃からアメリカに住んでいつつ、かなり日本語や日本の文化に触れさせようという母の努力がありました。

次回バイリンガルに育つこととは、実体験も含めて。まずは小学校偏。