12.31.2012

メイドさん(余談その3)

私の脳裏:
1.彼女もグルで私からお金をせびろうとしているのか
2.彼女はカモで、「お父さん」にだまされているのか

まずはこの荷物を送ったとされる「お父さん」、本当は誰なのかにせまりました。怖い顔で直接的に質問すると彼女も事実を言わないかもしれないので、やんわりと「どうやって知り合ったの」的な雰囲気で質問。すると本当のお父さんではない、彼氏みたいな感じ、でも会ったことがない....などという曖昧な返事です。

そしてさらに詳しく話を聞くと、無事に荷物が届いたあかつきにはUSD25000の半分のUSD12500を彼女にくれるという約束だったらしいのです。月に数百ドルの給料で働いている彼女にとってUSD12500というとものすごい大金です(私にとっても大金)。

そこで初めて彼女に私の考えを簡単に述べました。
1.USD4000をぽーんと渡せるような経済力は私にはありません。
2.メイド仲介業者に助けてもらえないか一緒に相談に行きましょう。

彼女はしぶしぶ了承しました。私にお金を出してもらえないと知ると彼女は自分の部屋で少し涙を流していました。

仲介業者は幸い徒歩5分のところにあり、土曜日の午前中はDilaという従業員がデスクに座っていました。事前に電話し、こういう事情で今から相談に行ってもよいかと聞くと快く承諾してくれました。

次回に続く。



12.29.2012

メイドさん(余談その2)

マレーシア政府に荷物を送ってもらうためにUSD4000を用意したいと言ってきた我がメイドさん。

以下、この話がちゃんちゃらおかしい点を復習しておきたいと思います。

ちゃんちゃらおかしい点その1:
彼女はすでに50歳近い年齢、その父親ときたら多分よぼよぼの70歳そこらの男性で、ベトナム沖なんちゅう過酷な状況で働いているわけがない

ちゃんちゃらおかしい点その2:
船便だろうと航空便だろうと(このシナリオではどうやら船便)、花束を送ったらイギリスから届いている頃にはしおれていること間違いなし

ちゃんちゃらおかしい点その3:
ダイアの指輪やUSD25000など、雇い主の私ですら持っていないような高級なものがなぜメイドさんに届くのか。そのような高級品を送ってくれる「父親」がいるのならなぜ彼女はメイドとして我が家で働いているのか。

ちゃんちゃらおかしい点その4:
シンガポールに届く荷物がマレーシアでつかまっているのもおかしい。シンガポール入国の時点で荷物をチェックされるのならまだ理解できる。

ここまでで既に4つのちゃんちゃらおかしい点があります(まだまだある)。

さてここで彼女は私を説得するために「お父さん」という人物にスカイプ電話をかけました。どうやらベトナム沖からは電話はできないけどスカイプはできるらしい。すると、その人物がまたちゃんちゃら怪しい人物。まず英語のアクセントが明らかにフィリピン人のアクセントではない。さらに彼女は母国語のタガログ語ではなく、英語でその人物をしゃべっている。お父さんとは母国語でしゃべるのが普通でしょうが。

この時点で私の考えは2つに分かれていました。
1.彼女もグルで私からお金をせびろうとしているのか
2.彼女はカモで、「お父さん」にだまされているのか

この後、電話を切った後にもう少し詳しく話を聞くことにしました。

次回に続く。

12.27.2012

メイドさん(余談その1)

さて大人気だったメイドさんシリーズ(笑)。今回また少しだけ復活させたいと思います。

前回後半で主人公だったメイドさんの話。49歳フィリピン人女性。今も元気よく我が家で働いてくれています。

日本でクリスマス・正月を過ごすために子供たちは既に日本へと旅立っていた先週の土曜日のこと。ひさしぶりに朝午前9時くらいまで寝て気持ちよく朝食の紅茶を作っていたときにいきなりメイドさんが真剣な眼差しで....

メイドさん:奥様、相談したいことがあります。ちょっと助けて欲しいのです。
私:(危険信号。むむ、金をせびられる)どうしたのですか。
メイドさん:実は事情があってUSD4000をお借りしたいと思います。
私:(やっぱり)どういう事情ですか。
メイドさん:それが....

ここから事情を理解するのに約30分(言葉の壁の&信じられない状況のため)。

どうやら彼女のお父さんは現在ベトナム沖で仕事をしているのですが、そのお父さんがイギリスからシンガポールにいる彼女に荷物を送ったと。中身は次の通り:花束(?)、手書きのカード(?)、ハンドバッグ2つ(?)、ダイアモンドの指輪(??)、USD25000(?????)。それがマレーシア政府にトラップされ、現金の無断輸送をしていたため罰金も兼ねてUSD4000をマレーシア政府の銀行口座に送金したらその荷物をあらためてシンガポールに送ってもらえるとのこと。その口座番号や荷物のトラッキング番号などすべての情報が入っているemailも見せてくれました。

なので、彼女はUSD4000を貸してくれたら、その荷物がシンガポールに届いたらすぐに中に入っている現金からお金は返すと私に言ってきました。

次回に続く。

12.14.2012

友人のサイトを宣伝

さてビジネススクールINSEADで出会った仲間たちは違う世界(ビジネス)からきている人間ばかりで、私は日々たくさんの刺激を受けながら学校に通っていました。

そんな中で卒業後にentrepreneurとして小さなビジネスを始める人が多く、今日はその友人らのサイトをいくつか紹介したいと思います。

http://www.winkydesigns.it/slap.html
これはかわいらしい中国系アメリカ人の女の子が始めた会社です。さまざまなデザインの腕時計を考案し、ブランド名には堂々と自分の名前を使用。私も発足当時腕時計を20個ほど購入して友人らにクリスマスにプレゼントしました。

http://www.visitmemonthly.com/
ははは、このサイトはなんともinnovative。何を売っているのかはサイトをビジットしてのお楽しみ(笑)。そして経営者はこの商品とは縁遠い人。

http://basecamphotels.com/
これはアウトドアが好きな友人が奥さんやお友達を一緒に考案しているブティックホテルです。サイトを見ているだけでLake Tahoeに行きたくなります。

http://www.playroomchina.com/en/shop
ははは、このサイトも新コンセプト。中国初(だと思う)のオンライン性ショップ。このサイトはまだあまり深くはチェックしていませんが(本当ですってば)、これが中国大陸でヒットしたらものすごいことになること間違いなし。

http://sooqini.com
これはロンドンにいる人たちがお互いにサービスやグッズを売買できるというサイトです。

www.dafiti.com.br/fb
これはブラジルのオンラインショッピング(だと思う)。実際はボルトガル語だからちゃんとは読んでいません...そしてなんとサイトのオーナーはフランス人友人。彼は必死でポルトガル語を勉強していました。

次のBill Gatesになるのは誰だかわかりませんが、とにかく全員頑張っていて楽しそう。

12.12.2012

昨日の続き(緊急中断)

前回の続き。

会計: 「本日は申し訳ありませんでした。本日打った2種類のワクチンの合計金額から1割引きしております」

(カチン)⬅ まぎれもなく、怒り開始の音

私 : 「打つつもりのない、年齢からして適応のない、間違ったワクチンのお金を請求しようというのですか」

(ちなみに、保険が利くのでHibワクチンの分をたとえ請求されても財布は痛くない。でもそんな問題ではないのは明白)
(私が働いている会社はこの病院ととても盛んに交流のある関係にあります)
(健康児にワクチンの1つや2つを余計に打ったくらいで将来に大きな影響がない)
(しかし全身状態に大きく影響する薬を間違って打たれたりしたときのことを考えると、ことの重大性に気づいていない会計に憤慨)

私 : 「間違った分の注射代を払う気はありません」

結局正しく打たれた注射のみの請求書がすぐに出てきて無事に支払いを済ませました。

(今日の分すべて無料にして、という大阪人的な強引さはさすがにない私)

自分たちが間違えて打ったワクチンのお金を請求。間違えたせいで1ヶ月後にまた私は仕事を休まなければならない。家に帰ってもこのもやもやとした気持ちは治まらず、このようにまずはブログで発散しています。
そしてこのようなことが二度と起きないように私はこのように反省しました:

1. 自分が臨床医だったとき、看護婦さんがよく「先生〜、目だけ借りてもいいですか〜」とか「これを一緒に確認してください」と言ってきてくれました。当時は「習わしかクセか分からないけど、よく何度もチェックするなぁ」と感心していました。しかし!今回のことがあってから、違う目で見ることの大切さを実感。今度からはたとえ「母親」という立場での受診だとしても、打つ前に箱を読ませてもらうことにしました。日本ではちょっと勇気のいる申し出・行動だと思いますが、シンガポールは多民族国家。いろいろな国民性の人々が集まっているから、注射液の箱を見せてという不思議な母親が他にもいるかもしれない。そしてそして海外に住んでいるあまり現地語が得意ではないママたち:身振り手振りで箱を見せてもらおう!たとえ既に薬を注射器に吸っていても打つ前なら遅くない、箱の横文字を読もう!

2. 人を信用し過ぎるのはやめよう。同じ医療従事者だからどうしても私は相手が「仲間」だと思ってしまいがちですが、誰にでもミスはあります(自分にも)。大切なのは、ミスが起きる前に止めることと、起きてしまった後の対応です。前者は自分にも努力するべき点があるはず。

3. 医療ミスがあったというドクターからの説明を聞いているときの自分があまりにも簡単に許容し過ぎた。ミスはミス。大きくても小さくてもちゃんと責任をとる姿勢となるまで笑顔はやめよう。この性格上、普段からへらへら笑っているので厳しい表情を保ち続けるのは個人的には難しいのですが(笑)、今回はドクターとの話し合いの段階で会計の話までしたほうがよかった。

あぁ、昔よく夜勤の看護婦さんに「目」や「耳」やたまに「手」も貸したなぁ。あれは思ったよりも大事だったんだなぁ。

12.11.2012

シリーズ緊急中断!

シリーズ「楽しい子育て」を書き始めて間もないですが、ちょっと許しがたいことがあったので緊急中断します!

シンガポールでは子供でも日本では通常受けないB型肝炎やA型肝炎などなど予防接種を受けることが薦められます(本来ならば渡航前にするのですが、私の怠慢のせいで来星2年近くなる今頃になって焦って現在注射打ちまくり)。

毎年のように細かく変化するワクチン事情。新ワクチンが出たり、昔から打たれてきたワクチンが急に副作用続出のため中断されたり。

そんな中、なかなかさっぱりした小児科医を見つけたのでいろいろとアドバイスしてもらいながら子供たちの予防接種を打ってもらうことになりました。

本日2回目。2種類注射されたにも関わらず、長男次男ともに涙ゼロ。嬉しそうに絆創膏を見せてくれました。そしてお会計を待っていると先生にまた呼ばれ...
先生: 「実は看護師のミスで間違った薬を打ってしまいました
私:  「何をどう間違えたのでしょうか」
先生: 「HBV(B型肝炎)を打つつもりがHibワクチンを打ってしまいました」
私:  「確かHibワクチンは5歳までに打つワクチンですよね」
先生: 「そうです、その通りです」

(Hib(インフルエンザ菌b型)ワクチンが日本で導入されたとき我が家はすでに日本に住んでおらず、結局二人とも現在5歳以上の年齢になってしまって打ちそびれた状態。5歳以上の年齢では通常打たない)

私:  「正直に教えていただきありがとうございます。打つはずだったHBVは?」
先生: 「1ヶ月後にまた来てください」
私:  「分かりました」

とまあ、無駄な薬を打たれたショックはあるものの、致死的な薬を打たれたわけでないし、通常は大きな副作用のない医療ミスだったので安心したのが正直な気持ち(ごくたまにワクチン接種後髄膜炎・脳炎はある)。看護師が「B」のつく薬同士を間違えて持ってきたようですが、医師も箱に明記されている薬剤名を再確認しなかったなど、なんとまあお粗末この上ない。1ヵ月後にまた仕事を休まなければならないのが面倒。まあ、なにはともあれ二人とも無事。

そしてお会計。

会計:「本日は申し訳ありませんでした。本日打った2種類のワクチンの合計金額から1割引きしております」

次回に続く。

12.10.2012

楽しい子育て(その3)

シンガポールに来て驚いたことは無数にありますが、(お金持ち)駐在員の子供たちのお誕生日会が豪華なこと!
  • クラス全体を誘うことは当たり前。
  • ピエロを雇う。
  • プールつきの施設を部分的に貸し切る。
  • ケータリングをお願いして豪華食事を振る舞う。
  • 同行した親にはシャンパンやワインを堪能してもらう。
  • お誕生日の子供は誰からだか分からないプレゼントを無数にもらう。
  • エンターテインメントとしてピエロのほかにプロに頼んでフェイスペインティング、バルーンアート、マジックショーなどなど。
このように幼稚園児の誕生日会なのにまるで誰かの定年祝いのような豪華さ。

我が家でもここ2年間お二人さんのお誕生日会を催してきましたが、規模や予算はその時々の(親の)気分次第。

例1 長男8歳のお誕生日
シンガポール上陸してまもない頃、上記のような豪華なお誕生日会に圧倒されつつ企画したのが、長男8歳のお誕生日会。
場所:マンション内のイベントルーム
人数:お友達10人程度
エンターテインメント(お姉さんを雇った):考古学者体験(恐竜の化石掘り)、恐竜のエッグハント
食べ物:ピザ+野菜スティックなど簡単なもの
写真:最右が長男、特別な道具を使って化石掘り中


例2 次男6歳のお誕生日
時間がなくてまともなお誕生日会を企画する時間がなかった忙しい時期でした。
場所:我が家
人数:お友達3人程度+ママたち
エンターテインメント:DVD鑑賞
食べ物:手作り料理
写真:ママたちとの話が楽しすぎてバースデーケーキを出し忘れたため、みんなが帰った後に3人でさびしくハッピーバースデー...

例3 長男9歳のお誕生日
どうしても今年のお誕生日はNight Safariでやりたかった長男でした。
場所:Singapore Night Safari、その後我が家でお泊まり会
人数:お友達3人
エンターテインメント:シンガポールで有名な夜の動物園Night Safari。そこのバギー貸し切りガイドつきツアーに申し込みました。
食べ物:動物園では持参したポップコーンとソフトドリンク、他は買い食い。朝はメイドさん手作りの朝ご飯でした。

例4 次男7歳のお誕生日
次男の希望でBBQおよびプールパーティーを開催しました。BBQエリアがプールに隣接しているので両方同時進行が可能です。雨期のシンガポールですから、天気次第でどうなるか分からないドキドキ感たっぷりのこの企画...当日の天気はまずまず!幸い雨は降らず、子供たちはゴムボートの乗って楽しくプールで遊び、大人は和気あいあいと食べたり飲んだり。途中のピニアータはなかなか盛り上がりましたよ。
場所:我がコンドのBBQおよび雨対策としてイベントルームも確保
人数:子供10人、大人15人
エンターテインメント:プール、Twisterというゲーム、ゴムボート、ピニアータ
食べ物:友人に協力を得てBBQを準備してもらい、さらにメイドさんは休日返上でその他お料理を用意してもらいました。バースデーケーキは次男希望のイチゴのショートケーキ以外に人数が多いためにチョコレートケーキも用意しました。次男はよく理解していなかったけれども、ゲストには私個人の友人が4組含まれていました(かねてからお誘いしようと思っていた4組を「ついでに」誘ってみた)。
写真:パーティー当日朝から忙しく買い物しました。嬉しそうに風船を持っている次男。大人気だったゴムボート。ピニアータを力強く棒でたたく次男。



来年はどんな企画をしようかな?

12.06.2012

楽しい子育て(その2)

さて99%の場合、つらいことばかりの子育て。

しかし仕事から帰宅後にこのようなメモが机に置いてあると、「あぁ、明日からも頑張れるかも」と考えることができる単純な私です。
訳:おかあさんへ、いつもありがとう。ここにお金をおきます。ひろとりくより。(右上は寄付金)

長男+次男が通っている小学校では小学校4年生以上の給食は本人が食堂で注文してからEZ Link Card(PASMOとかEdyみたいなプリペイド式カード)で支払う形式です。1週間給食を満足に食べるためには、週に50㌦くらいをそのEZ Link Cardに入金しなければなりません。その金額を長男が自覚した日の夜、このメモを見つけました。

きっと彼は金額の多さに驚愕し、弟にも協力を得て自分たちのお小遣いから少し足しになるかもと思ってこの現金+メモをくれたのでしょう。弟なんて全財産20㌦のうち半分の10㌦も寄付してくれましたよ。

もちろんお金はお礼を言った上でその日のうちに返しましたが、返すときの彼らの表情もまた一生忘れません。「本当にウチの財布大丈夫?」といった感じ。

まったく信用されていないようですが、食費分くらいはかせいでいますって。

12.03.2012

楽しい子育て(その1)

最近ブログを更新していませんでした。実は新しく衝動買いしたMacbook Airが使いこなせなかったのと、長男が一時期不安定になり私の体力消耗が激しかったことが理由として挙げられます。

その不安定になった長男に関してはまた後々ブログでつづって行きたいと思いますが、とりあえず新シリーズ「楽しい子育て」を開始したいと思います。ちなみに流れ的にこのシリーズが終わった後に続くのは「つらい子育て」シリーズです(笑)。


Macbook Airで上下にスクロールするのに1週間かかり、日本語入力ができるようになるのに更に1週間かかり、写真や音楽を入れられるようになるのにここまでかかりました。パソコン音痴にこのような無謀な変換は絶対にオススメしません(ここまできてもまだ後悔している状態、あぁ、おとなしくVAIOを再購入すればよかった...)。


それでもなんだかんだでブログの更新はできるようになりました。そして今ではこの上下スクロールがないとなんだかイライラするようになってしまいました。


今日はそんなパソコン音痴から生まれたパソコンを難なく使いこなす9歳児の作品を紹介しましょう。Facebookですでに見ている人は悪しからず。


お母さんが新しいMacbook Airを購入したのなら、自分も学校でMacを使っているのでアカウントをセットアップしてくれと長男に言わました。そしてあっという間にできたのが次の作品。
いつもけんかばかりしている弟にも出演させているところに驚きました。

次の作品はmovie trailer形式で、テンプレートはあるものの、ストーリーを組み立てて弟にも演技指導をし、音楽に合わせて展開させているところがすごいと思いました。
そしてこの作品が最新作品です。これは上のもののようなストーリーはありませんが、テーマがしっかりとあってそれに沿った映像を撮っているものです。
彼らに与えられているMac時間は一日に一時間。最後のものなどは一日で作成していました。

スクロールできないとか言っている場合ではありませんな。次の作品が楽しみです。

(3つ目の作品で一人さみしく台所でビールを飲んでいる疲れた人は私です)

10.29.2012

バイリンガリズム12〜親の役割(ハード編)〜

さて目指すレベルが分かったところで、親として子供をバイリンガルに育てる場合、親はどこまで、何歳まで干渉できるのか。

私個人は現在このように考えています。
1. 土台作りは親の仕事だけど、その土台をどう利用するかは実は子供次第
2. どうせ小学校6年生くらいまでしか子供は言うことを聞いてくれない。後は自分の日本語(あるいは英語、あるいはXXX語)能力をどこまで伸ばすかは本人の性格次第
3. しかし両方おろそかになってはCummins先生のいうdouble limited bilingualismの例のようになってしまう要注意

つまり、我が家のプランは次の通り:
1. 小学校6年生までは体験入学、ドリル学習、塾通い。理想的にはここらへんまでに土台が完成する(語学的土台、アイデンテティ的土台)
2.中学校以降、もちろん勉強もさせたいものの、むしろ本を読んだり(マンガもOK)、日本を旅行したり、おばあちゃんに会ったりなど、通常の勉強とは違うアプローチでも日本語に触れさせる努力も怠らない(そうすると反抗が少ないかなと思い)
3. Double limited bilingualismという言葉を日々意識し、そのような状況に陥りそうな子供は勇気を出して環境を単一言語にすることも考える(実は我が家は長男がちょっとこの傾向になるかもしれないので、私としては十分に注意を払うようにしている)

目指すレベルは各家庭で違うし、育つ環境も違うし、親が違う言語をしゃべるかもしれないし、一人親かもしれないし、多国語でしゃべるのを嫌がる子供かもしれないし、無人島で育っていて日本語のドリルが入手困難かもしれない。各々のご家庭にexclusiveな悩みがいろいろあるはずです。

子供も親も「楽しく楽しく楽に楽に」(楽x4)できるだけ身につけよう!というスタンスでいかがでしょうか。私は子供が勉強をせずイヤになったらこのように考えるようにしています。

ちょっとシリーズに疲れたのでバイリンガリズム終了。突然ですみません。

次回からはしばらく毎日の子育て状況。コメディと悲劇を同時に観ているような感情起伏の激しい毎日を送っているので最近テレビを観る必要が自分の中でなくなっています。

10.25.2012

バイリンガリズム11〜どこまで目指すか〜

どこまで目指すか、バイリンガル。

実はバイリンガル肯定論とバイリンガル否定論があるようです。わたしは実はどちらの言い分も理解できる気がします。もちろん誰もがバイリンガルに育つことに成功するという保証があればよいのですが、double limited bilingualismという言葉があるように、2言語とも年齢相応のレベルに達していない場合、子供の知的発達にはマイナスの影響があると考えているCumminsという言語学者がいます。実は私も様々な友人らの思春期を観察してきてこれは一理あると考えています。

仲良しのベルギー人友人は7カ国語を操ることができ、旅のお供にはもってこいの人材です(笑)。しかしそんな彼でもやはりビジネスレベル以上でしゃべれるのは3つ(オランダ語、英語、フランス語)で、アジア言語は含まれていません。

私個人は、たくさんの言語を習得するよりはコアとなる母国語+英語を100%マスターすることを目標にしてきました。個々の能力の差が大きいと思いますが、私にとって日本語と英語の両言語を、
1.会話力
2.聴解力
3.読解力
4.書字力
5.文化習得力
の5つのパラメーターにおいて完全に習得するのが精一杯でした。どのパラメーターも100%に近いレベルに達していなければ私個人の中ではバイリンガルとは呼べないようが気がしました(高校生のときの私はこのような考えでしたが、基本的には自分の目標値は今も変わっていない)。18歳の自分はすべての項目において日本語では平均よりも劣勢だったので、それをマスターするために日本に住むことにしました。

ここで一つ言っておきたいのが、私個人のバイリンガルパラメーターの中には「発音」は入れていないということです。本当は6つ目の項目として挙げたいのですが、発音がうまくても文法がめちゃくちゃなアメリカ人もいるし、クセのある発音でも感動的なスピーチを聞かせることのできるNelson Mandelaのような人もいるからここは省略。INSEADというビジネススクールで一緒に勉強をした仲間の中には英語を母国語をしない友人が多くいましたが、それでも彼らはまったく劣らない英語をしゃべっていました(特にスラングは身に付きやすいらしい....)。私などは英国系英語をしゃべる友人に囲まれると「あなたの英語はアメリカ英語だけど聞きやすいわぁ」とほめられているようないないような。発音にもいろいろあるのです。発音は第一印象の大きな助け(あるいはマイナスイメージに貢献)になることは確かですが。

(どうしても子供の発音を上手にしてあげたい人は8歳くらいまでの間に目指す発音の先生やテレビの英語をたくさん聞かせておくとよいかも。私の経験では、我々の親世代よりも現在の中学生のほうが英語の発音が上手。それは小さい頃からなんとなく聞いてきたからだと考えています)

(発音についてもう一つ意見を言いますと、単一言語よりも二カ国語の発音がうまいほうが、次の言語を習得するときに発音面においては有利だと思います。言語学者さんのほうが詳しいはずですが(笑)、まったく別の2言語を操れる人のほうが他言語の発音がすんなり入っていくような気がします)

さてみなさんはどこまで目指していますか。私自身フランス語を上記5つのパラメーターにおいてマスターするのをとっくの昔に諦めました(笑)。

次回は親の役割(ハード編)。私の意見。




10.24.2012

バイリンガリズム10〜定義・程度〜

「バイリンガル」の言葉の定義はなかなか難しいと言われています。

さまざまな言語学者が各々の分類を提示しています。私自身、バイリンガル度とは5つのパラメーターで評価できると思っています。
1.会話力
2.聴解力
3.読解力
4.書字力
5.文化習得力

私の友人同僚でバイリンガルの人たちを紹介していきます。

例1:東京のインターナショナルスクールで育った友人(大半がハーフ)
「インター語」という俗語がありますが、インター育ちの友人らは日本語と英語の使い分けはできるものの、仲間同士では好んでミックスしてしゃべります。こちらが聞いていてもこれがまた見事な混合で、「あっぱれ!」と言いたくなります。90%英語10%日本語の会話を想像してください。自分が言いたいことを頭の中で想像、表音速度を瞬時に比較計算し、速く言い終われるほうを即座に選出して日本語で言うか英語で言うかという決断を下します。学校では英語教育を受けているので英語のほうが得意ですが(実際にはビジネスレベルの日本語となると難しくなる。特に読み書き)、面白いことに育った環境が日本なので、日本に住んだほうがしっくりくることが多いようです。

例2:ラテンアメリカ人で、大人になってから中国語を勉強し始めた同僚
この人は中国人女性と結婚して大人になってから必死で中国語を勉強しました。母国語はスペイン語。英語ももちろんビジネスレベルでお上手。そして一番感動するのが中国語をしゃべっているときの流暢なこと!中国語や日本語など漢字を使用する言語を大人になってから習得するのは難しいという私の考えを見事に覆すよい例です。彼はしかし読解の場になるとやはり中国語を母国語とするスタッフに任せておくほうが安心なようです。

例3:私同様にサンディエゴで育ったけど現地で生まれて現在ほとんどアメリカンな日本人友人
1歳からの友人で、ほとんど姉妹のように一緒に育ってきた彼女と私です。現在彼女は友人との会話や職場でのやりとりなど日常会話はだいたい英語ですが、親としゃべるときは日常レベルの日本語。彼女の場合は小さい頃から兄弟とは英語でしゃべるようになっていました。しかし日本語の文学は頑張って原著で読むこともあり、私から見れば数年間日本で生活をしたら今からでも日本語力がぐっと上がると思われるレベルにあります。

このようにいろいろなバイリンガルがいる中、自分はどこを目指すべきなのか?

次回に続く。






10.22.2012

バイリンガリズム9~体験入学の意義~

10月に入ってからすっかりご無沙汰しております。勢いに任せてMacbook Airを購入したものの、なかなか慣れない日々が続いています。ファンが多いのできっと使い方をマスターしたらとても使い勝手がよいのだとは思いますが、私のようにもともとパソコンが苦手な人間にとっては、むしろマスターするまでの数ヶ月間の時間がもったいない。上下にスクールできるようになるまで1週間かかりました。

シリーズ「バイリンガリズム」もすっかりご無沙汰しております。今回は体験入学について。

さて10月は毎年我が家の子供たちは学校が2週間休みになるため、現在子供たちは二人で日本に一時帰国しています。そして2週間の間、地元の小学校に体験入学をすることになっています。

この体験入学。親が思っているよりもずっと子供にとっては貴重な体験になっています(経験者語る)。私が初めて体験入学した小学校2年生当時のこと。

  1. 語学習得 体験入学初日から自分の日本語能力の限界を感じたのを覚えています。まず日本の子供たちは字が上手なこと!やはり毎日ひらがな・カタカナ・漢字を書いている子供たちは書き慣れていて、上手に素早く作文ができていました。次に音読能力に格段の差がありました。背筋をピンと伸ばして立位姿勢でまっすぐ腕を前に出して教科書を読む姿を目の当たりにしました。更に私の場合、いきなり和歌山弁の世界に放り込まれたので(関西弁の)会話力も習得する必要がありました。
  2. 文化習得(裸の付き合い編)夏季期間だったので体育の時間はプールで泳ぎました。このために水着に着替えるわけですが、男女関係なく教室で一緒に着替えました。私はお友達と一緒に着替えるのはなんとなく違和感がありました(今も好きではない)。アメリカの公立小学校ではプールの授業などなかったし、そもそも体育のために体育着に着替えるという概念もなかったので、学校で洋服を脱ぐことがありませんでした。日本の人たちはよくお友達と温泉に行きますが、私はお友達と温泉に行くのはいまだに苦手です。
  3. 食文化習得 アメリカの公立学校の給食はまずく、毎日同じようなメニューを食べさせられるのに、日本の小学校ではカレーとかシチューとかお味噌汁とか美味しいものを食べられたので私は給食が楽しくなったのを覚えています。食事の後は全員で音楽に会わせて歯磨きをしました。
  4. 文化習得(全校集会編)日本の学校は外に全生徒で並ぶ朝礼や、週に一度の全校集会があり、全員で何かする機会が多くありました。朝礼の後は音楽が流れてクラスごとにゲームや運動をしました。アメリカの小学校で全校生徒で集まるのは防災訓練のときくらいだったでしょうか。そういえば日本の学校では全校集会の度に校歌を歌いました(今でも歌える)。
  5. 一定した教育指針 日本の公立小学校は文部科学省の教育指針に従って授業が進められる上に、教科書も指定された教科書しか使用しません。しかし自由の国アメリカは違います。アメリカにも「一応」指針はあるのでしょうが、強制されないでしょうか、私の小学5年生のときの「音楽」の授業では「自分の好きな音楽を学校に持参してそれに合わせて踊る」というものがありました。参加自由。友人がBanglesのWalk Like an Egyptianに合わせて首を左右に振って踊っていたのを覚えています。私はバカらしくて参加しませんでした。いったいどうやって成績をつけるのだ。
とまあ、このように様々な知覚を刺激される日本での体験入学を合計4回経験しました。今となってはよい思い出です。この経験がなければ大学時代の日本での生活はもっと大変だったと思います。

さて我が子たち。残り5日でシンガポールに戻ってくるわけですが、いったいどんなことを学んで帰ってくるのでしょうか。








10.11.2012

絶叫マシーンな子育て

最終エントリーから約1週間経過してしまいました。PCからマックに切り替えようという無謀な計画があり、そのせいでパソコンが嫌いになってしまいました。本日もこのエントリーに何時間かかるのか....

さて子供が生まれる前絶叫マシーンが大好きだった私ですが、子供が生まれてからまったく乗りたくなくなりました。それはなぜでしょう。それは、日常生活が絶叫マシーンのようにスリル満点になったからです。

例えばここ1週間。

10月6日
二日早いですが、長男の9歳のお誕生日をシンガポールの人気スポットNight Safariで祝いました。学校のお友達3人を招待してプライベートツアーに申し込み、長男はショーにまで参加してご褒美としてヘビのお人形をもらって大喜び。




その後お友達は我が家にお泊まりし、とても楽しかった1泊2日。絶叫マシーンでいえば、頂点にいる気分。

10月8日
翌日が塾(早稲田アカデミー)の算数の授業なので学校から帰ったら宿題をしておくようにと伝えたにも関わらず長男は何もせず。私はがっくり。夏休み以降宿題をしないクセがついてしまったのでもう算数はやめようと考えていました。絶叫マシーンでいえば、どん底に落ちた気分。

しかし夜長男が見せてくれたビデオ作品。私の新品マックを使用して、弟くんにも出演してもらい、本人は監督、映像、出演、編集すべてを一人で担当して仕上がった作品なかなかの出来。絶叫マシーンでいえば昇っていくところ。

10月9日
塾当日。お迎えに行くときに算数の先生と立ち話をし算数をやめたい旨を伝えようと思っていました。するといきなり先生から「今日の総合回テストで100点をとりました!クラスで二人だけです」と。本人も嬉しそう。宿題もしていないのに100点?!どういうこっちゃ。そのまま高級寿司のディナーに出かけました♡。絶叫マシーンは有頂天。

10月10日
私が仕事に出かけてから20分後くらいに喧嘩勃発。長男はへそを曲げ、登校拒否。仕事を抜けられない私は、メイドさんに任せておけないので(はっきり言って子育てにおいてこのように難しくなるとメイドさんには任せられない)、児童精神学のバックグラウンドをもつ女性に電話して急遽出動してもらい、2時間程度長男の話し相手をしてもらいました。それでも結局その日は一日ご機嫌ななめで学校は休んだまま。どん底絶叫マシーン。

10月11日 
私の誕生日。朝から部屋に入るな!と強い口調の長男。20分後に「たら〜ん」と出てきたと思ったら、「誕生日プレゼント」と言ってレゴで作った I ♡ you をもらいました。絶叫マシーン再び有頂天。

「平均的な感情」みたいなものはなく、とてもとても嬉しいか、とてもとても悲しいか、二択の世界です。

たまに普通に嬉しく普通に悲しくなる毎日が恋しくなりますケド。





10.03.2012

Incentivizing

仲良し兄弟で知られている我が家の長男次男。お互いに頼り合っていて可愛いときは本当に可愛いお二人さんです。新学年が始まってまだあまり仲良しの友人がいない弟くんは、お昼休み中お友達に囲まれているお兄ちゃんを探して一緒にランチタイムを過ごすそうです。
お兄ちゃんが見つからないときは休憩時間を一人で過ごすとか。現在弟くんの目標は同学年の子に「一緒に遊ぼう」と言う勇気を出すことです。
さてさてそんな弟くんですが、家ではお兄ちゃんに対してものすごく暴力的。殴る、蹴る、つねる、髪の毛を引張る(だいたいはお兄ちゃんが何かいじわるをした後)。お兄ちゃんはほとんどやり返しません。
どんな争いもそうですが、悪いのはお互いさま。どうしたら私が不在中でも効率よく弟くんの暴力とお兄ちゃんのいじわるを減らせるか。
そこで考えた攻略方法。月に20枚のシンガポール1ドル硬貨を用意します。写真のように1枚ずつ紙に貼って見やすい所に置きます。

ルールは簡単。
1.     弟くんが殴る、蹴る、つねる、髪の毛を引張るなどの暴力行為を働いた場合は、硬貨を1枚没収。この場合、必ず本人の目の前で1枚没収します。
2.     月末に残っている枚数分のお小遣いをあげます。写真でいうと、今日が月末ならば19ドルもらえる計算に。弟くんはお金が大好きなので大喜び。
3.     さて、お兄ちゃんはどうするのか。お兄ちゃんには弟くんと同じ金額を月末に渡します。
このように、悪いのはお互い様なので、暴力行為を誘発するような言動を発したお兄ちゃんにも同じ金額を渡すことによってこのような言動自体減るのではないかという計算です。
この新攻略法。先週お試し期間10日間として10ドルから開始してみました。すると最後には7ドル残り、二人とも大喜び。こちらの印象としては暴力行為、誘発言動は減り、徐々にうちの中に平和が戻ってきたような感じ。10月から本格スタートしましたが、今後どうなるのか楽しみです。

9.24.2012

アジア諸国発達度指標(その2)

昨日の続き。

ウェーターが待機しているときのテーブルからの距離
インドネシアや中国で私はレストランのスタッフに「観察」されながら食事をしていました。ウェーターはほとんど距離をとらず、しかもこちらを向いてこちらの次の指示を待っています。きっと先に述べた皿を下げる早さの一要因としてウェーターとテーブルとの間の距離の短さが関係していると思われます。

食べているところをあまりじっと見られたくない私はとにかくこのような状況では食べるのが早いこと!食事した気がしません。

その国民性におけるパーソナルスペースのコンセプトの違いもあるでしょうが、「程よい」距離から見守っていて欲しいと毎回思うのです。

ビル内の温度
高温多湿の東南アジアですが、屋内はクーラーが効いているので助かります。しかし、このクーラーの設定温度(体感温度的にはおそらく18度)が問題。外から屋内に入ったときに一瞬は屋内の心地よさが有難いのですが、その中で一日中デスクワークすることを想像してみてください。これは地獄です。仕事を始めて翌日にはフリースのひざ掛けと秋物のコートを職場に常備するようになりました。そのうちひざ掛けを2枚用意して膝と腰を温めるようになりました。仕事中は温かい飲み物を飲まないと寒いのでガブガブと利尿作用抜群の紅茶を飲んでいると自然とトイレが近くなってしまいます。仕事がはかどらない.....

便器の湿潤度
東南アジアに住んでいると、濡れている便器に遭遇することは日常茶飯事です。さてここで一つ言っておかなくてはならないのは、イスラム系の国では用を足した後にトイレットペーパーではなく、備え付けのホースで衛星を保つので、トイレの便器や床が濡れる確率は自然と高くなります。

言うまでもなく様々な「要素」によって便器というのは濡れるのですが、ここではあくまで「水」に注目したいと思います。
  1. イスラム系の国ではそのホースを使用した後も特に便器を拭くことはしない(ようです)
  2. ベトナムで滞在したホテルでは「ナニ」を流すためにものすごい水圧を要したらしく、普通に流すだけで便器が濡れた
  3. お掃除のおばさんがトイレ掃除をした後に便器がすごく濡れている。放水した後は拭かないらしい
  4. (おまけ)シンガポールで購入した消臭剤を使用すると自分と床と便器が濡れる
ということでこちらに移住してからトイレを使用するにあたっていくつか注意するようになったこと。
  • 使用前に必ず便器を念入りに拭く
  • デパートで洋服を購入する際、パンツ丈は通常よりも2-3cm短く仕立ててもらう
  • ハイヒールを履くようになった
あぁ、またトイレの話になってしまった。フランス時代のブログも犬の○ンの話ばかりだったなぁ。きっと私の思考はそういう方向を向いているのだろうなぁ。

9.23.2012

アジア諸国発達度指標(その1)

さてシンガポールに移住してもうすぐ2年になります。仕事や旅行で東南アジアや中国に行く機会が多々あり、最近自分の中でアジア諸国の格付け基準があることに気付きました。GDPや経済成長率など難しい基準でアジア諸国のランキングを出すことはもちろん可能です。しかし、もっと各国の日常生活に即したパラメーターを今日ここで紹介します。

砂糖顆粒の大きさ

熱い紅茶を飲むのが私の毎朝の習慣です。どの国でもホテルの朝食ビュッフェでテーブルに置かれているシュガーのパックに注目してみましょう。インドネシアやベトナムでは砂糖の顆粒がとにかく大きい!お箸のコンテストで熟練度を競うときに使用されそうな大きさです。何度もかき混ぜないとなかなか溶けてくれません。本当に溶けにくい場合は諦めてそのまま飲みます。中国やブルネイ王国ではやっとその顆粒がもう少し小さくなります。シンガポールではサラサラのいわゆる上白糖となり、先進国日本では砂糖がガムシロップという世紀の大発見(?)に成り変わります。

食べ終わってからお皿が片付けられるまでの時間
どうやら東南アジアのウェーターにとって、客が箸を置くと、それが「一休み」なのか「ごちそうさま」なのかの判断が難しいらしいです。あるいは食べ終えた皿はいち早く下げるのがホスピタリティなのか。

日本から遊びにきていたお友達とシンガポールのFullerton Hotelでチキンライス+オニオングラタンスープをいただいているときのこと。スープをとにかく下げたいウェーターと友人との間で激しいバトルが繰り広げられました。既に2回下げにきたウェーターを2回とも制止しているのに、一瞬スプーンを置いた直後にまた「下げてもよろしいでしょうか」と聞かれたとき(3回目)、友人はついに諦めて「.....どうぞ.....」と相手のしつこさに負けていました。

ベトナム、インドネシア、中国辺りもとにかくお皿を下げるのが早い。お皿の上に何か残っていてもお構いなし。こちらが気をつけていないと普通に下げられてしまいます。かなりハラハラドキドキの食事体験、油断はできません。これらの国では「余韻」というコンセプトが欠如しています。



明日に続く(バイリンガルシリーズいつか復活します)。

9.20.2012

信じられないシンガポール

シンガポールに住んでいると、地球上にこんな楽園があったのか!と好意的に考えることが9割、そして不思議な場面に遭遇すること1割。本日はその1割を紹介します。

用を足しながら会話続行
仕事中にトイレで知り合いに遭遇することがあっても、トイレの個室に入った途端に日本人であれば会話は中断します(男性は知らないケド、少なくとも女性は会話ストップ)。しかしそこは効率の良いシンガポール人の国民性。排尿・排便中も時間がもったいないのでしょう、その時間も会話続行。私もたまに会話続行を暗に強制されると非常に、非常に困ります。一方で「じょ~」と言わせながら、もう一方で通常通りの会話....ってみなさんできますか?

公共交通機関ではパーソナルスペースが広くなる
ラッシュアワー中の東京のバスや電車の中を想像してみてください。知らないおじさんの背中に体を押し付けられながら、自分の背中には知らない誰かさんのかばんや%&*$などが押し付けられている状態。電車に乗ろうとしている人がいれば自然と車内の奥のほうに移動します。

シンガポール人、普段はパーソナルスペースの感覚が日本人よりも狭く、結構な距離まで迫ってくる国民性です。列に並んでいると、中国人ほどではないにしろ、後ろから押される感覚をたまに味わいます。

日本ではとりあえずバスに乗ろうとしているお客さんは全員乗せてあげようという暗黙の了解があるので、乗ろうとしているのに乗れなかったという経験はあまりなかったように思えます。ところがシンガポール人、混み合っているバスや電車ではパーソナルスペースが広くなるようで。なかなかバスや電車の奥まで進んでくれません。更に運転手自身も「満員だ!」と判断した瞬間に、まだ乗ろうとしている人がいても強引にドアを閉めてしまいます。

まだまだたくさんの人が入りそうなバスのドアが、急いでいるとき限って、目の前で強引に閉まるときにちょっとカチンとくる私です。

全身麻酔から覚醒直後に食事許可
5月に次男が良性腫瘤摘出のため全身麻酔下で手術をしました。私も初めて親として手術室前で待機する気分を味わいました(以前は手術室内で親を待たせているほうだった)。

さて無事手術終了、病室に戻ってきたときに、いきなり看護婦さんに「少しずつ水を飲ませても大丈夫です」と言われたことに驚きました。日本では全身麻酔後しばらく飲食禁止です。そして2-3時間経過してから看護婦さんが聴診器でお腹の音を確認し、まずは水や麦茶から始めます。食事もおかゆなどから始まって徐々に普通食となります。しかし、シンガポールでは水は許可されるわ、食事は普通の中華料理が出てくるわで、驚きの連続。

しかし驚きつつも「ちょっと面白いな」と思った私は言われた通りに次男に水を飲ませて、出された食事を食べさせてみました。興味半分。人体実験。

しばらくしてから見事にすべて嘔吐。あぁ、やっぱり私が受けた日本での臨床医療教育は間違っていなかった....と確信した瞬間でした。


次回はシンガポールを持ち上げるようなエントリーをしなければ(笑)。

9.17.2012

バイリンガリズム8~現実~

さて、「バイリンガルに育てる生活 ~現実編~」。

(正直言ってネタ書きに疲れて中休みが長引いているだけ)。
 
 フルタイムの学校(インターナショナルスクール)及び平日の放課後は週に何度か早稲田アカデミーに通っているお二人。週末は勉強三昧(といっても一日最長でも2時間程度)。

二人揃って「もうこれ以上勉強はイヤだ!」と週末はグレてテントで家出(実際はリビングルームにテントを張っている)。寝ているときはズボンに手を入れてこっちのイライラを際立たせる。

 
意志の弱い親はご褒美としてたまに子供にオモチャを買い与え、勉強をする気にさせる。現在は年に二度の試験結果待ち。国語算数合わせて140点以上だったらまた何か買わされることになる。
そして親はもうこれ以上子供の勉強に付き合えない!となると、週末は昼間からプールサイドでお酒に溺れる。

さてそろそろちゃんと書こうかな.....

9.15.2012

バイリンガリズム7~現地校(中学・高校)~

今回はバイリンガリズムとはほぼ無関係。

私がアメリカの公立中学・高校に通っていて一番気に入った点は、一日6限あるうち、全部選択制だったということです。数学1時限、国語1時限、体育1時限、社会1時限、理科1時限、外国語1時限などとおおまかに科目は決まっているのですが、その中で体育以外は選択肢がとにかく多い!

中学1年生のときの話を例に挙げます。

例1(数学):年度初めに算数のテストを受けました。点数のよい生徒はいきなり中学2年生の授業を受けることになりました。私は一学年上のお兄さんやお姉さんたちと一緒に自分のレベルに合った授業を楽しく受けました。ちなみに、そうすると高校3年生に入ったときに学校で受けることができる数学がなくなりますよね。なので高3のときは数学を受けなくてもよくなるのですが、私は地元の大学に行って夜間授業で数学を受けていました。
例2(フランス語):外国語はフランス語とスペイン語から選ぶことができました。南カリフォルニアはメキシコが近接しているため、ほとんどの生徒がスペイン語を選ぶ中、私はフランス語を選択しました。これは結局生涯一番好きな科目となり、高校までの6年間+短期留学2回+INSEAD留学につながった選択でした。
例3(社会):社会は中1で全員受けなければならない授業だったのですが、これが2-3レベルに分かれていて本人が選択することができました。自分のレベルは自己申告制なので、学期初めは自分に合ったレベルを探し求めてクラスを変更する生徒がたまにいます。

日本では学校ごとに偏差値が違いますが、私が育った環境では一つの学校の中でかなり個々間の「偏差値」に差があったはずです。

日本ではあり得ないタイプの授業なのでここで紹介すると面白いもの。
  •  タイピング(パソコンのキーボードを打つ練習をする)
  • 運転免許学科授業
  • 社会学習(学校を1時間早退してアルバイトに出かける。この場合、ファーストフードなどのアルバイトでもよいのか、あるいはもっと知的な仕事でないといけなかったのか記憶にありません。
  • 高校の単位を取得できるのはもちろんのこと、年度末の試験で好成績をとったらそのまま大学の単位にもなるという優れものの授業。フランス語、化学、物理、数学、国語、社会、美術史などバラエティに富んでいる。
ちなみに、まじめな高校生だった私は高校3年生の頃には単位を結構揃えてあったので、高3の後半は一日4時限しか受けなくてもよい状態でした。日本でいうと大学のような雰囲気ですね。

ちょっと脱線しましたが、このような自由な環境のもとアメリカで教育を受けました。
次回バイリンガリズム、どのようなバイリンガルを目指すか?ということに言及します。
 

9.14.2012

21世紀的子育て

バイリンガリズム、少しお休みして最近私が馴染もうとしているiPadやパソコンに依存する生活について。

iPadもさることながら、パソコン自体なくてはならない今日この頃です。私のことを個人的に知っている方は私がいかにIT音痴かご存知だと思います。
  1. 本は文庫本が好き。iPadやKindleで読むなんてもってのほか。実際ページをめくる行為をしないと本を読んでいる気がしません。
  2. 頑張ってiPodに入れた音楽。3年前から更新していないのでずっと同じ音楽を聴いている。
  3. この度WindowsからAppleに乗り換えようという無謀な計画。Interfaceに慣れるまで個人レッスンに通わないといけないかもしれない。
  4. シンガポールのケーブルテレビ。どの番組が何時に流れているかいまだに分からないのでここ2年近くテレビを観ていない。
しかしこんな時代逆行型ママの子育てに物申すかのように,、子供たちの生活はどんどんハイテク化していく始末。

小学校4年生の宿題にインターネットが不可欠な件。
みなさんはいつごろから毎日メールをチェックする生活を始めましたか?私自身はおそらく20歳くらい。大学入学時に@u-tokyo.xx.xxなどというメールアドレスはもらいましたが、確か自分の家にパソコンを購入し、インターネット環境を整え、現在愛用している@hotmail.comのアドレスで頻回なメールのやりとりを始めたのはもっと後でした。

そんな親なのに。

子は7歳(昨学年度)にして学校からメールアドレスを与えられ、宿題はインターネットの掲示板や直接のメールで知らされ、そして多くの場合サイバー提出されます。授業の一環としてマックの使用を教わります。昨晩の宿題は彼自身のメルアドに送られ、メール中のYoutubeのリンクをクリックして2つの異なるパフォーマンスを鑑賞し、別のメールで送られてきたアンケート式の質問票に答え、それを送信して提出するものでした。

先生方も授業や宿題のIT化を歓迎していて、明らかなペーパーレス化が見受けられます。パソコンしか使用しない授業では困りますが、そこらへんは先生も心得ていて、ちゃんと紙の宿題も出ます。

中学に入るときにはマイノートがないとかなり厳しい世の中です。

iPadがあるといろいろと助かる件。
ずっと「反IT派」だった私もついにiPadを受け入れることにしました。外食をする際にiPadを与えておくと静かに待っていてくれるし、ケンカが減ります。ただし、リミットレスに使用させるとさすがに頭が悪くなりそうなので、友人に教えてもらったTimeLockというappで一日に一時間の使用に制限しています。これがなかなかの優れもので、一日のうちに親が設定した時間しかiPadが使用できなくなります。

落とし穴:TimeLockはiPadを消してくれるわけではない。そして最近発見した次男の行為。TimeLockのポップアップがしつこく3秒ごとに表示されるのに、さらにしつこく3秒ごとにそれを消しながらゲームを続ける彼。手ごわい.....

ITとうまく付き合うコツなどありましたら教えてください!

9.13.2012

バイリンガリズム6~親の役割(ソフト編)2~

バイリンガリズムシリーズ前回の続き。親は子供の心理をどう突けばよいのか。

2.ジャパニーズ・スペリオリティ
さて赤○新聞の見出しようですが、決してそのような要素はありませんのでご安心を(笑)。この言い回しは在日の友人が使用していたのでそのまま引用させてもらいました。

このコンセプトはうまく使えばかなり有効です。

海外で子供を育てる上で親はやはりminor languageを重点的に強化していかなければなりませんが、人間はもともと楽をしようとする動物なので、特に子供だと周りよりも努力することがなんだか面倒になりがちです。そんな中、「日本って国はすごいんだぞ」という印象を子供に植え付けておくと後々子供のほうから努力するのではないかと考えています。

具体的に、我が家では父が日本製のものがいかに優れているかをよく語っていました。自動車、マンガ、電化製品。母は日本の洋服は仕立てがよいとか、サービスが行き届いているなどと教えてくれました。最近でいうと2011年の東北地方太平洋沖地震および津波で被害に遭った東日本の人たちの震災後の紳士的な態度は世界でもめずらしいほど評価注目され、日本人として誇りに思いました。2005年アメリカのハリケーン・カトリーナで、アメリカ政府の震災後の対応遅延が甚だしかったとはいえ、食料品や医薬品の略奪行為やレイプなどが報告されたのとは大違い。やはり日本はいい国です。

ここで注意しなければならないのは、日本をより持ち上げるために外国を見下すようなことを言っては子供が混乱するということです。子供はその外国には自分の意志で来ているわけではないし、その外国にすでに愛着が湧いているかもしれないし、公平な判断を今後子供自身で下すべきだと思います。

(先日ゲームセンターで長男次男がゲームの番待ちをしていたのに、シンガポール人の子供たちがなかなか交代しないので、ついつい日本語で「だからシンガポールの子供たちはだめなのよ」と言ってしまいましたが、言った直後に後悔しました。シンガポールの子供たちのほうが日本の子供たちほどは遠慮がないことは確かですが、それは実際良くも悪くもあって、可愛げがあってよい場合もたくさんあります。)

しかしこのコンセプトを乱用すると、逆に子供が外国の環境に馴染めなかったり、自分が住んでいる外国をバカにしてしまったり、なぜ自分はこの外国にいるのだろうか、日本に帰りたいなどと考え始めてしまうので、さじ加減が難しいと思います。

私の場合はちょうど良いさじ加減で日本の素晴らしさを教えられ、さらには祖父母からたくさんのものを学び、日本で体験入学した小学校の友人からは大事にされました。このような流れの中で高校卒業間近、大学を決める際に「おっと、自分は55%日本人なのに日本に住んだことがない」ということに気づき、日本の大学に進んだのでした。大学での体験はまた別の機会に。

そして最後に2012年のアメリカ。お寿司は「おしゃれで健康的な食べ物」としてどんどんチェーン店が展開され、日本のアニメは翻訳されアメリカのケーブルテレビで毎日流され、日本人は「行儀のよい」国民、日本は「安全できれいな国」というイメージ。わざわざ船便で送ってもらわなくても、インターネットで日本のテレビ放送を毎日観ることができる。1970年代とは大違い。

きっと外国で子供をバイリンガルに育てるのは昔より簡便になっているはず。同志のみなさん、ぜひ頑張りましょう。親の役割「ソフト編」終了。そのうち「ハード編」をお送りします。

9.12.2012

バイリンガリズム5~親の役割(ソフト編)1~

バイリンガリズムシリーズ。

私のようにアメリカで育った日本人の場合、「母国語=日本語」の社会的地位は最終的なバイリンガル到達度に大きな影響を及ぼします。

例えば日本国内でアメリカ人の子供を育てる場合、全世界における英語の社会的地位や将来的な利便性が高いため、きっと日本の公立小学校に通わせたとしてもそれほど英語力保持に苦労しないのでは。逆に、アメリカで日本人の子供を育てる場合、英語のほうが便利だし面倒くさい漢字テストもないし、どうしても日本語離れが生じやすくなります。

実際に外国で子供たちをバイリンガルに育てる際に親は何に注意したらよいのか。今回は私の経験より、ソフト編。

1970年代のアメリカ。日本の高度経済成長期後とはいえ、日本の文化が真の意味で世界に広がるのはもっと後のことです。Progressiveなアメリカ人は違ったかもしれませんが、ちまたのアメリカ人(子供)にお寿司は'raw fish'と気持ち悪がられ、日本のアニメやマンガはまだまだ浸透しておらず、国籍を聞かれるときはまず'Are you Chinese?'と聞かれる世界。戦争の色こそは残っていないものの、日本の知名度や日本の国としての社会的地位がまだまだ低かったという印象です。テレビで日本語放送はほとんどなく、おばあちゃんにビデオテープ(VHSではなく、なんとベータ。誰か覚えています?)に「日本昔話」と「サザエさん」を録画したものをまとめてダンボールで送ってもらっていました。

こんな日本が遠い環境の中、特に子供にとってはむろん英語がmajor language、日本語がminor languageになりがちです。

そんな中、日本語教育をプッシュしようとする駐在員親!子供たちが日々英語で生活する中、家では日本語をしゃべろうと親は努力しますが、なかなかうまくいきません。

親の考えていること:
  1. 将来日本に帰ったときに学校でいじめられないようにしっかりと日本語教育をしなければ
  2. でもせっかくアメリカにいるのだから英語もしっかりと勉強させなければ

子供の考えていること:
  1. なぜ自分だけ現地校+補習校の2つの学校に通わなければならないのか
  2. 土曜日はサッカーや野球の試合がある日なのに、自分だけ補習校に行かないといけないから参加できない
  3. アメリカ人の子供たちは放課後遊び呆けているのに、自分だけ日本語のドリルや宿題がやたらと多い
  4. アメリカ人の子供たちは約3カ月の夏休みがあるのに、自分だけその中の1カ月は日本で小学校に体験入学しなければならないのはなぜか

ちなみに、私個人的には子供のとき一瞬だけ#2は脳裏をかすめましたが、その他はあまり考えませんでした。もともと物事を深く考えない性格も手伝ってか、あまり疑問に思わずに親に差し出されたドリルをこなし、夏休みに入ったら喜んで日本の小学校へ体験入学していました。

それはいったいなぜか。今日紹介する理由は2つ。

1.アイデンテティはずっとなんとなく日本人だった。
「なんとなく」というのがミソで、パーセンテージでいうと今も昔も55%日本人、45%アメリカ人だと思います。10%の違いはまず自分にかっこいいアメリカ人名(AshleyとかBarbaraとか?)がないこと、および自分にアメリカ国籍がないことが関与しています。この10%がすごく大きな意味を占めていて、これがあるからこそ現在私はこのブログを英語ではなく日本語で書いているのだと思っています。

もし両親が「現地校に馴染むために」なんだかかっこいいクリスチャンネームをつけていたら子供の私はもっとアメリカ寄りになっていたかもしれません(別にアメリカ寄りが悪いわけではないけれども、バイリンガルに育つ上では障害が増える)。さらに、我が家は永住権までは取得したものの、アメリカ生まれの妹以外は日本人のままです。これを両親が「将来アメリカで仕事をするときに有利だから」などという理由で日本人パスポートからアメリカ人パスポートに切り替えていたら私を取り巻く現在の環境は大きく変わっていたと思います(ちなみに、ちょっとズルですが、日本のパスポートを放棄せずにアメリカのパスポートも同時に取得できるそうです)。

今ふと思い出したのですが、小さい頃和歌山で祖父母の家に夏休み期間中滞在しているときに私が「自分はアメリカの子」と言ったら、おばあちゃんが「ちゃうで~、あっこちゃんは和歌山の子やで~」と言ったのを思い出しました。こういうふとした一言もなんとなく私のアイデンテティ構築に関与したのかもしれません。

次回に続く。

9.11.2012

バイリンガリズム4~現地校(小学校)~

小学校から高校までの12年間すべてサンディエゴ市立の学校に通いました。受験がある日本とは違い、高校まである意味「エスカレーター式」です。好きな友人も嫌いな同級生も全員エスカレーターで上がっていきます。

さて小学校時代の私の英語力・日本語力はどうだったのでしょうか。

記憶や昔話を頼りに話をします。

1.5歳
公立のキンダーガーデン(小1の前の学年)に通い始めました。これは朝登校し正午くらいに授業が終了するので、日本でいう幼稚園みたいなイメージです(でも1年しか通わない)。このときに授業参観のときに挙手して先生の質問に答えていたそうです。しかし、この頃は英語と日本語を混合してしゃべっていたらしく、母はこれを厳しく注意していたそうです。

2.5歳半
妹が生まれたため日本から母側の祖父母がサンディエゴに応援にきました。このとき、近所の女の子と祖母との簡単な会話を「同時通訳」していたそうです。

3.7歳
初めて日本の小学校に体験入学しました。和歌山の田舎だったので完全な関西弁です。言うまでもなく2ヶ月の滞在のあとは私も完全な関西弁になっていました。日本の小学校の友人は学校での約束事やしきたりなどいろいろなことを教えてくれました。本人的には日本語の会話力はあまり劣らないと思いましたが、何よりも驚いたのがみんなの字のうまいこと!やはり毎日書いているから書字能力に格段の差がありました。私は結局大学入学後も字があまり上手ではありませんでしたが、日本で大学に入学してからは日本語をたくさん書くようになり、なぜか最近は「医者にしては字がうまい」と言われるように(ほめられているのか、そうではないのか?)。また、このときの小学校の友人らとは中学くらいまで頻繁に文通をしていて、このような交流も日本と私をつなぐ重要な架け橋だったと思います。

4.9歳
現地校で毎日一緒に遊ぶような仲良しの友人ができました。その子は完全なアメリカ人で、もちろん二人の会話はすべて英語。その子はまったく遠慮をしないタイプで、私の英語の文法を直してくれました。ようは、2歳から英語をしゃべり始めたはずなのに、私は9歳の時点でまだ耳障りな文法の間違いをしていたということです。

5.10-11歳
引き続く同じ友人と仲良くしていました。その子のご両親には大リーグの試合に連れていってもらったり、週末はお泊りをさせてもらったり、ご飯を一緒に食べたりとかなり濃密にお世話になりました。おそらくこの頃からかなり英語が堪能になっていったと思います。しかしその頃の記憶として印象に残っているのが、何かこぼしてしまったときに英語で「シミ」という単語を思い出せなかったということです。知っている単語(stain)なのに、私は日常生活を日本語で送っていたため、stainという単語がぱっと浮かんできませんでした。
単に私の言語発達が遅かっただけかもしれませんが、小学校高学年でやっと英語を学年通りのレベルでこなせていたのではないかと思います。

よく聞くのが「うちの子はアメリカに住み始めて半年で英語がぺらぺらになっていた」などということですが、それはおそらく間違いではないかと思います。やはり会話力、聴解力、読解力、書字力のすべてをマスターしようと思うといくら子供でも2-4年かかると私は思います。我が家でも一年間フランスに住んでいたことがあり、その一年の間に子供たちはかなりフランス語がうまくなりましたが、文法や語彙力に関しては現地の子供たちと最後まで格段の差がありました

次回はバイリンガル教育における親の役割。ソフト面。




9.10.2012

バイリンガリズム3~二重学校生活~

私が1歳そこそこのときにアメリカに移住した我が家。通常の日本人駐在員は3-7年で日本に帰国するのですが、我が家は途中で永住権を取得し早々から永住体制。私は当然の如く地元の幼稚園や小学校、中学校、高校に通っていました。最初に英語に触れたのは2歳台、地元のプレスクールに通い始めたときでした。母と初めて離れることになった私は2週間ぶっ通しで号泣していたようです。

サンディエゴには土曜日のみ通う日本人用補習授業校「みなと学園」はあるのですが、全日制の日本人学校はありません。つまり、パリやシンガポールやジャカルタには日本と同じ義務教育を受けられる学校(月曜日から金曜日、あるいは土曜日まで毎日通う)がありますが、ロサンゼルスやサンディエゴには補習授業校しかありません。したがってサンディエゴの日本人駐在員は子供を「現地校」に通わせながら土曜日はみなと学園に通わせていました。

このように、私はごく普通にサンディエゴの地元公立学校に通いながら、土曜日はみなと学園に通うという二重生活を高校卒業直前まで送りました。月曜日から金曜日までは英語生活(家では日本語)、土曜日は日本語生活、日曜日はオフ(笑)。

そして最終的にはいろいろな理由があって日本の大学に通い、現在は家なき子のように様々な国を転々としている状態です。

小さい頃は英語や日本語の宿題をする他に、教育者の母が日本で購入してきた国語のドリルを日々こなしていたようです。また、小学校のときは現地校が夏休みに入ると即単独日本に飛び1ヶ月間だけ母の実家がある和歌山県桃山町(現在は紀の川市)の公立小学校に体験入学をさせてもらいました。高校卒業と同時にアメリカの大学へは進まず、日本の大学を受験することを自分で決めました。

このように、小さい頃からアメリカに住んでいつつ、かなり日本語や日本の文化に触れさせようという母の努力がありました。

次回バイリンガルに育つこととは、実体験も含めて。まずは小学校偏。



9.08.2012

バイリンガリズム2~サンディエゴへ移住~

バイリンガリズムシリーズ。

私は願っても言語学の専門家でも何でもありませんが、「帰国子女」という言葉が流行するずっと前、乳児のときにアメリカに渡り幼少時代から高校卒業までカリフォルニア州サンディエゴ市で育ったため、自分はある程度のバイリンガル度を備えていると考えています。

個人的にちょっと面白い当時の写真を見つけたのでスキャンしてみます。これは父が赴任のため一足早くサンディエゴへ出発していくときの様子です(抱っこされている赤ちゃんが私)。昔は成田空港なんてなかったので、国内線国際線すべて羽田空港から出発していたわけですが、すでに出国手続きをした旅行者に写真の如く「最後に一言」しゃべれたみたいです。刑務所の面会室に似ていると思うのは私だけでしょうか。母は父に「着いたら電報を送ってね」と言っているのでしょう(そんなに古くないか)。
当時のサンディエゴは現在のように美味しいレストランやお洒落な店もなく、米海軍基地Camp Pendletonに隣接しているサーファー天国といったイメージだったと推測できます。母は初めて私を抱っこしてサンディエゴに到着したとき、「とんでもない田舎に来てしまった....」と絶句したそうです。今も昔も気候はさわやかで雨も少なく過ごしやすい場所です。大都市ロサンゼルスから運転して2時間。海沿いにある港町で、ロスのサテライト的な存在という意味で「アメリカの横浜」といってもよいかもしれません。

今日はあまりバイリンガル関係の話はしていません(ただの昔話だわ)。

次回からは私の学校生活について。



9.07.2012

バイリンガリズム1~イントロ~

バイリンガルシリーズ。イントロ編。

最近よく聞かれる質問:
「うちの子をバイリンガルに育てたいけど、どうしたらよいか」
これは大変興味深い、奥の深い質問です。私は専門家でも何でもありませんが、あまりにもよく質問されるので何度かに分けて自分の考えをつづってみたいと思います(お分かりのように最近「シリーズ化」にはまっています(笑))。
過去のブログでバイリンガリズムや自分の中での葛藤について何度かつづってみました。

母国語の大切さ

バイリンガリズム

日本代表

真のバイリンガルとは

いろいろと蛇行をするかもしれませんが、自分の経験を交えながら現段階で自分の考えていることを述べて参ります。子供たちに対して実践していることを紹介します。

私が過去に読んだ本の中で、バイリンガル教育について適切かつ公平に書かれているものとして中島和子氏の「バイリンガル教育の方法」というものを挙げたいと思います。著者は言語学の研究者でありながら母親として息子をカナダで育てた経験を持ち、様々な文献を引用しながら経験に基づいて分かりやすくバイリンガル教育について解き明かしています。ちゃんと勉強したい方はどうぞご参考に。

ちゃんと勉強したくないケド、なんとなくバイリンガルとはどんなものなのか知りたい人はこれから数日間に渡って続きを読んでください(笑)。

いろいろな友人がこのブログを読んでくれていると思いますが、今後みなさんのご意見楽しみにしています。

9.03.2012

小学生に政治を任せると

シンガポールの全国紙Straits Timesを愛読しています。文字が大きく、写真や広告も多く、そして何よりも米紙や英紙ほど難しい英単語を使用していないので読みやすい。シンガポールの新聞やニュースは場所柄東南アジア諸国やオセアニアの問題も多く取り上げていて前よりも多少は詳しくなったような気がします。

さて少し前から日本VS韓国で繰り広げられている「竹島問題」。現実の世界では両国ともなんだか煮え切らないので、ある週末の朝我が家の朝食の話題に挙げてみました(別にそんなことを毎日しているわけではなく、たまたま面白そうだったので一度きりですが政治問題を語ってみただけです)。

私:韓国っていう日本のお隣の国と日本の間に竹島っていう島があって、韓国では「ドクト」って呼んでいるんだよ。
長男:ふ~ん。
私:それでね、日本と韓国でその島がどっちのものかってエライおじさんたちがケンカしているんだよ。
次男:え~大人がケンカするの?
私:どっちの国もその島が欲しくてたまらないみたい。
長男:え~そんなの簡単じゃん。シェアすればいいじゃん。
私:そうだよね~、でもどこで島を分けるの?
長男:簡単だよ。どっちかが島を上手に分けて、どっちかが最初選べる人になればいいじゃん。

小学3年生に任せると竹島問題は弟とケーキを分けるのと同じくらい簡単に解けてしまう問題らしい。めでたしめでたし。

9.02.2012

メイドさん(完結)

「家政婦は逃げた」けどまた雇いましたシリーズ完結編。

もう二度と同じような経験をしたくない私は前回の反省を活かして今回はどのような工夫をしているのでしょうか。

1.パスポート
周囲のシンガポール人友人や同僚全員から「なんで本人にパスポートを渡してあったの!」と前回は怒られましたが、やはり人権的な信念から私自身は他人のパスポートを剥奪できないと思いました。なので、今回はパスポートを仲介業者が預かるように手配しました。

2.月休5日から週休1日にダウングレード
私の仕事のスケジュールが不定期だったために、前回の方には多めに休みを与えていましたが、今回は反省して平均的な休暇日数を与えることにしました。というわけで、現在は週休1日、祝日が平日なら通常通り働いてもらう。私の中では多めに休みを与えると我が家に居ついてくれるかと考えていたのですが、そんな甘い考えは払拭。

3.日曜日の休みは周囲のご家庭同様朝から門限時間まで
外泊なし。厳しく門限設定。午後9時に設定したらたいてい午後8時台に戻ってきてその日の夕食の片付けをしてくれます。

4.食費を一括で渡さず、買い物に行く度に$50-100預ける
これは説明も不要ですが、メイドさんの月給よりも高い食費代を一括で渡すのはやめました。

5.毎日挨拶して様子をうかがう
以前も毎朝挨拶はしていましたが、これからは朝から必ず一言二言交わし、当日のアクティビティについて口頭で再確認します。

6.ホワイトボードに重要事項列挙
以前の方には本人任せで家事や買い物をしてもらっていましたが、これからは私も日々の細かい指示を出すようにしました。その他、子供たちの学校や習い事の送迎に関する指示を書き出し、間違いのないように工夫しています。

7.週間メニュー
以前はメイドさんご本人に当日の夕食メニューを考えてもらっていました。しかし、これからは私自身が週初めに1週間の夕食メニューを細かく書き出すことにしました。実際このほうがバラエティ豊富で栄養バランスのとれた食事がとれることが判明しました。実際現在の方にしばらくメニューを自分で考えてもらっていたのですが、発案が苦手なようでした。逆に、上の写真のように書き出すと、私の思い通りのものが出来上がることが分かりました。

8.お料理教室
栗原はるみさんの料理本で、英語で書かれた和食レシピ集が4冊シリーズで出ています。これは我が家のメイドさんのバイブルです。しかし、こればかりでは種類が限られて飽きてしまう可能性があるので、メイドさん用のお料理教室に通ってもらうことにしました。
http://www.expat-kitchen.com/
このように日常の仕事以外のところに行かせてあげると、彼女の気分転換にもなるし、同時にこちらが彼女の技術に投資している印象を与えることができ、今後も期待されていることが伝わるのではないかと。実際通うようになってから西洋料理の幅が広がり、現在では和食、西洋、中華など上手に作ることができるようになりました。現在までにBasicとIntermediateコースを修了したので、今後は11月頃にBakingコースに申し込む予定です。

9.日本語教室
Grouponで安い日本語教室を見つけました。今回のメイドさんは日本語を一言も理解せずしゃべれず(それが普通です)。しかし我が家では主に日本語でしゃべるので、少しでも単語を拾えれば彼女も楽しいのではないかと思い、来週の水曜日から計8回日本語教室に通わせることになりました。


現在のメイドさんはお友達をあまり作らず、黙々と仕事をするのが好きなようで、こちらとしても子供たちの世話をしている間に隠れて携帯で電話していることもなさそうなので安心できます。前回の方は友人豊富で彼氏ともアツアツだったので、それに加えて私が自由にさせ過ぎたのでしょうか。

またメイドさん関連のネタが出てきてしまったらシリーズを再開したいと思いますが、とりあえずは今回これでおしまい。

めでたしめでたし。

9.01.2012

メイドさん(その11)

メイドさんシリーズ、そろそろ完結編が近いか。

「急がばまわれ」メイド採用。今回こそは失敗しないメイドさん探しを目指し、エージェンシーを通して何人かのメイドさんの履歴書を送ってもらいました。1-2年で雇用主をぽんぽん代えている人はボツ、以前の雇用主と連絡がとれない人もボツ、しゃべってみて生意気な人もボツ、若くて女盛りっぽいのもボツ。

そしてやっと見つかり、現在も雇っているメイドさんの紹介をします。

彼女は現在40歳代後半、フィリピン人。一般にメイドさんは年齢が40歳代に入るとバリューが下がると言われているので、年齢だけ見ると「売れ残りそうな」高齢です。過去8年間同じご家庭でずっと働いてきました。そのご家庭はお父さんが日本人、お母さんが中華系マレーシア人、男の子3人。子供さんたちが高校や大学のために日本へ帰国するに当たり、メイドさんが必要なくなったので今回8年ぶりの職探しということでした。

本人に会う前に雇用主Sharonに電話で何度かお話しました。評価は上々、ただし言われなければやらない(フィリピン人メイドさんではよくあることですが、機転が利かないので指示は丁寧に何度も繰り返さなければならないことが多い)。家事一般はできる。何よりも私が嬉しかったのは、Sharonが「我が家で長いこと働いていたので、次のご家庭がよいご家庭かどうか私自身気になる」と言っていたことでした。

さて、本人にももちろん会いました。英語力まあまあ、容姿まあまあ。しかし人が良さそうでやる気もある。残念ながらシンガポールの法律で料理を試しに作ってもらうことはできませんでしたが、ここはSharonの言葉を信じるほかありません。何よりも一つの家庭で8年間働くというのはかなりプラスでした。

即採用したかったのですが、Sharon邸での雇用期間がまだ残っていて、本人も引越しの手伝いを最後までやり遂げたいとのことだったので、我が家はひとまず我慢。

出会ってから実に3週間ほど待ってやっと我が家に来てくれました。

シリーズまだ続く。

8.31.2012

長男VS次男

みなさんの中には子供二人いらっしゃるご家庭が多いと思います。

我が家ではたったの2歳差なのに母(私)の態度が二人に対してまったく違います(自慢するようなことではない)。

長男は比較的厳しく「とことんたたきこめ」教育、次男は比較的甘く「なるようになれ」教育。結果的にこうなるご家庭が多いということですが、私は彼らが生まれた瞬間からこうやって育ててみようと考えていました。いわば人体実験です。

疑問その1
厳しく育てたらどんな人間ができ上がるのだろうか?(あれやれこれやれと言われ続けた人間は最終的にはどうなるのだろうか?)

疑問その2
甘く育てたらどんな人間ができ上がるのだろうか?(人間は自発的にものができるようになるのだろうか?)

このような疑問の答えを出すには格好のモルモットが長男と次男です。

ところがこの育て方に問題があることが最近判明。実は次男は「半」年男にしてまだ夜間はオムツで寝ているのです。

フランス時代、オムツから溢れるようなおもらしをしていた次男。私はその後彼に対してまったく「おねしょトレーニング」をしていませんでした。これが私流、「なるようになれ」教育でした。

そして月日が流れるのは速いもので、後3カ月で「ラッキー○」歳になる彼。最近は本人が焦り始めました。寝る前には膀胱はもちろんのこと、腎臓や尿管から尿がすべて出切るまでトイレに向かっています(ずっと立っている)。毎晩熱帯夜のようなシンガポールでも眠前の麦茶を自ら我慢。更には毎晩一度だけ起こしてトイレに行かせてくれと私に頼む。

ちなみに、長男は厳しく2歳過ぎで昼間はオムツにし、3歳台でパンツで夜間過ごせるようになりました。子供のトイレトレーニングをした方なら誰でも分かるでしょうが、これには大量の洗濯物と厳しいしつけが必要です。

さて「ラッキー○」歳になるまでにおねしょをしない子供になるのでしょうか?

「なるようになれ」教育はやはり劣勢か?

8.29.2012

メイドさん(その10)

「家政婦は逃げた」シリーズ第10弾。

生活の基盤を担っていたメイドさんが逃げてしまいました。逃げたメイドさんのことはさっさと忘れて、今後の生活のことを第一に考えなくてはなりません。当時ちょうど母がアメリカから遊びにきていたので本当に助かりました。しかし母は観光で来ていたのであまり過酷な労働をお願いするわけにはいきません。早く次のメイドさんを探さなくては。

しかし焦る気持ち半分、「急がばまわれ」的な気持ち半分。前回は選考プロセスにおいてお料理を作ってもらったり以前の雇用主に話を聞いたりして自分ではじっくりと決定したつもりでした。しかし結果が結果なので、今回はアプローチを少し変えました。

まず仲介業者変更。隣人のスペイン人奥さんにお薦め業者を紹介してもらいました。

次に1-2年単位で雇用主が変わっているメイドさんは選考に入れるのをやめました。それだけ頻回に雇用先を変えているということは一つの家庭に愛着が湧かないのか、気に入らないことがあるとすぐに辞めてしまうタイプなのか、トラブルが起こすことが多いのか。じっくりと一つのご家庭で働くような我慢強い人にしようと思いました。

英語力や学歴や容姿も選考基準に入れませんでした。

とにかく子供たちを可愛がってくれて、お金を盗まないで、彼氏と逃げてしまわない人!

次回に続く。


8.28.2012

メイドさん(その9)

大人気シリーズ第9弾。

そんなこんなで$2500を支払う必要はなくなったけど(保険バンザイ)、その後失踪したメイドさんはどうなったのでしょうか。

もちろん失踪したままです。

シンガポール国境管理局に寄りますと、このメイドさんが正規のパスポートでマレーシアに出国したという記録はありません。不法出国した、あるいは現在もシンガポールにいるのか?いったん雇用主のもとから逃げたメイドさんは警察に届けられ、シンガポール出入国は今後一切禁じられます。もちろん今後シンガポール国内での労働も不可能です。

逃げる前にちゃんと話し合って、あちらから×○×○の理由で契約満了できないと言われれば、私も喜んで円満解雇していました。そうすれば彼女は今後もシンガポールに出入りできたのでしょうに。本当に残念です。

そして後々母といろいろ話し合って一つ気づいたことがあります。実は毎月我々の食費として$800(米・酒を抜いた金額)を渡してそれの管理をメイドさんに任せてあったのですが、以前も書いたように我々の食事量は一年間極めて少量でした。長男がお代わりを頼んでも出てくることはありませんでした。メイドさんが不在となり母と私でスーパーに買い物に行くようになり、$800あればどれだけの食材が買えるのかを知り得たときに、彼女が毎月の食費の半分くらいを自分のものにしていたことに気付きました。足りない足りないと言われ続け、一年かけて食費をどんどん増やしていったにも関わらず(最初は$500でやりくりをお願いしていた)、食事量が増えなかったので実に不可解だったですが、それを追求しなかったのが敗因でした。

さて、実に貴重な学習ポイントが様々ある今回の諸経験。そこからどうやって生活を立て直すのか?

次回に続く。


8.26.2012

メイドさん(その8)

メイドさんシリーズ。

というわけでシンガポール労働省から規定違反のため$5000支払いのお達しが送られてくる中、私のケースが最終的にどのように収束したかといいますと。

まず、なんと契約時に私はSecurity Bondの保険に入っていました(知らずに)。保険代は$53。私は生来いい加減な性格なので保険加入する際に細かいものをあまりに見ずに「雰囲気で」加入します。メイドさんの契約時にメイドさん自身の医療保険に加入してあげるのですが、その際にSecurity Bond Protection $53という項目があったので、「え~い、どうせだから申し込んでしまえ~」と加入したのでした。むろん、何をprotectしてくれるのか当時はまったく知らず。

それは$5000のSecurity Bondの支払い義務が生じた場合に保険会社が代わりに支払ってくれるというものでした。

これを知ったときほど「保険ってありがたい....」と感じたことはありません。

後で分かったことですが、私は警察に届けたり、メイドさん直筆のメモを証拠として提出したので$5000がディスカウント(?)されて$2500になっていました。嬉しいような、どうでもいいような(保険でカバーされるから)。

ちなみに、メイド雇用の大先輩、ちまたのシンガポール人はどのようにしてこのSecurity Bondの支払い義務が生じないように工夫しているのでしょうか。
1.パスポート剥奪。雇用開始と同時に雇用主がメイドさんのパスポートを管理します。アメリカで育った私からすれば「えぇ、他人のパスポートを取り上げるの?!」と信じられない行為ですが、99%の雇用主はこのようにしています。
2.ピル服用歓迎(強制?)。妊娠予防のため。
3.厳しい門限管理。私個人は自分が日曜日が休みだったりすると、土曜日の夜から月曜日の朝まで自由にしてよいと考えがちです。それが通常メイドさんの場合は、日曜日の午前中から夜(門限)までしか自由時間となりません。誰も言わないけど、外でS○Xして来ないように昼間しか自由にしていないと考えられます。しかし、ちょっと前に日曜日の昼間に彼氏と安ホテルで「営んでいた」メイドさんが殺される事件がありましたので、昼間でも可能といえば可能なのだけど。
4.ちょっと話は違いますが、外出の度に雇用主がメイドさんのバッグの中身をチェックして家から小さなものを盗み出していないか確認するご家庭もあります。

人権と自由の国アメリカで育った私からすれば理解不能な部分多々あり。

それでもメイドさんシリーズは続く。

8.25.2012

「流行遅れ」

シンガポールはその国の規模からしていろいろなものを外国から輸入しています。日用雑貨や食品は中国、マレーシア、インドネシアなどから。ファッションや子供のオモチャは日本やその他外国のものをあちらこちらで見かけます。

現在シンガポールのゲームセンターやデパートで見かける子供用のカードを使うゲーム機は「デジモン」と「アニマルカイザー」です。流行の最先端にはなかなかついていけない我が家。我が家は外国にいたこともあって、日本で流行が終わりそうなときにそれらを知り、子供たちがカード集めにはまる頃には既に日本のデパートからは姿を消し始めていました。ところが少し経ってシンガポールで流行し始めるとそのカードは再び使えるので、我が家は「二度」おいしい思いをするわけです。

ところでシンガポールでは同じ機械をそのまま利用しているので表示は日本語が多いのですが、シンガポール人の子供たちは問題なく遊べていて、子供の想像力ってすごいなと感心しました。

ちなみに現在シンガポールのテレビで流れている戦隊シリーズは「シンケンジャー」ですが、映像は切り貼りされていて、人間が出てくるシーンは外国人の役者を使ったシーンを撮りなおしているようです。

そしてアメリカ発祥のサンダル靴Crocsを何足も履きつぶしている我が家。シンガポールでは近所のParkway ParadeにCrocsの大きなお店があり、よりどりみどりの大人用・子供用のCrocsを購入することができます。今夏、ちょうどサンディエゴに行く時期に二人とも新しいサイズが必要になったので、発祥の地アメリカで最新のCrocsを買おうと考えていました。しかしサンディエゴのどのモールに行ってもCrocs店はもちろんなく、屋台形式のスタンドもほとんどありませんでした。あっても子供用Crocsは5種類ほど。スタンドのお兄さんは売る気もなくただ座っているだけ。アメリカでのCrocsブームはすでに終わっていたのです。

というわけで、子供たちには夏の間我慢してもらい、シンガポールに戻ってきた翌日にCrocs店でそれぞれ一つ大きなサイズのCrocsを無事購入できました。めでたしめでたし。

このように「流行遅れ」のシンガポールは同様に流行遅れの我が家にはぴったりなのです。まだCrocsを購入したい人、ぜひシンガポールへ。

8.24.2012

習い事もろもろ

新学年が今週火曜日から始まりました。長男は学校の配慮か、昨年同様優しそうな男性教師のお世話になることに。クラスには以前からのお友達も多く(私もママ友が多く)、楽しそうな一年になりそうです。次男はまだクラスにお友達が少ないためか、長男ほどは楽しそうにはしていませんが、学年が上がって昼食を教室ではなく屋外にある食堂で食べられるようになり、少し大人になった気分のようです。

学校に慣れ始めたら次に諸々の習い事をアレンジしていかなければなりません。

今日はテニスのプライベートレッスンのトライアルをしました。先生との相性、先生の技術、子供たちのフィーリングなどを確認するために特に値が張るプライベートレッスンでは必ず「お試し」を行うことにしています。

午後4時台はまだまだ暑いシンガポール。子供たちも先生も顔を真っ赤にしながら一時間のレッスンに満足していたようです。長男はいっちょまえに「このコーチは技術力が高い」「前のコーチのほうがフォームはきれいだった」などと自分なりに批評していました。

ちなみに他国では想像しにくいマンション敷地内でのレッスンですから、エレベーターで1階に下りるだけでもうそこはテニスコート。非常に便利です。

余談ですが、みなさんにとって子供の習い事とは、いったいどのような意味意義をもつのでしょうか。運動や教養のため、学業だけでなく趣味にも高じる奥の深い大人に育てるため、お友達の輪を広げるため。

私はただこれだけの理由:
1.暇つぶし
2.テレビを見ない時間確保
3.ケンカをしない時間確保

このような不純な動機から将来のフェデラーが育つとは考えにくいですが、放課後メイドさんに子供たちを任せる働く母にとっては、兄弟間の傷害沙汰を回避できる方法なら何でも試そうかと。

今度はスイミングのプライベートレッスンの報告をする予定です。お楽しみに。


8.23.2012

メイドさん(その7)

メイドさんシリーズの続き。

警察に届けに行ったのには(後々知ることになる)わりと重要な意味合いがありました。

実は契約時に雇用主(私)は以下のリンクにあるシンガポール労働省のメイド雇用規定に従うことを約束します。規定違反が見つかった場合Security BondというSGD5000の金額を労働省にバツとして支払わなければなりません。
http://www.mom.gov.sg/documents/services-forms/passes/wpspassconditions.pdf

メイドさんに無理な労働を強いた、雇用条件以外の労働を強制、虐待を加えたなどなど、メイドさんの人権を侵害する雇用主も中にはいるものですから、労働省は人権擁護のためにこのようなペナルティーを課しています。

ここまではよくある話。納得できます。

しかし、上記リンクにはハッキリとは書いていませんが、以下のような場合も雇用主はこの$5000を支払わなければなりません。
1.メイドさんがシンガポールで妊娠した
2.メイドさんが失踪した

ハッキリとは書いていないので労働規定12ページの「パッと見」では分からないようになっています。しかし労働規定に明記されている事柄を2つ3つ合わせて考えると、確かにメイドさんが妊娠したり、失踪したりしたら雇用主が$5000支払うようなルールになっています。

私は生物学的に自分でメイドさんを妊娠させられません。
私はメイドさんの失踪に関与していません。

というロジックは通らないようになっています。

納得した人いますか?

メイドさんシリーズはまだまだ続く。

8.22.2012

メイドさん(その6)

「家政婦は見た」テレビシリーズよりも面白いと評判のブログシリーズ「家政婦は逃げた」第6弾。

楽しい旅行から帰ってきて見つけた置き手紙。明らかにメイドさんは契約満了前に契約を放棄して逃げてしまいました。

(頭が混乱)
う~んと、こういうとき誰に相談すればいいのだ。
明日からどうやって仕事しながら子育てするのだ。
家事は誰がするのだ。
洗濯機はどうやってまわすのだ。
貴重品はとられていないか。
私が何か悪いことをしたのか。

とまあ、最初は頭が混乱していましたが、幸い数分後にはだんだんと思考がクリアになってきました。まず、私は何も悪いことはしていないはずだと確信。彼女を人間扱いして長めの休みを与え、ミャンマー人彼氏との自由時間を与え、給料は一般的な上限と言われる額を渡し、フィリピンへの一時帰国は年に何度でも歓迎し、契約外の労働は強制していない。なので、虐待や過酷労働に値するような事態ではないと自分の胸をなで下ろす。

その日は日曜日でしたが、まずこの家政婦さんを雇うときに仲介を頼んだエージェンシーに電話をして報告し指示を仰ぎました。すると先方もこんな経験は初めてだったようですが、とりあえずは失踪届けを出しに警察に行くように言われました。

旅行から帰ってきて2時間後、家のものが盗まれていないことを確認した上で近所の交番に届けを出しに出向きました。

「なんで私は何も悪いことをしていないのに警察に行かなきゃいけないのかな~」
「旅行行かなければよかったなあ」
「うちには盗むような貴重品がなくてよかったなあ」

などと考えながら交番に歩いて行く途中、更にクリアになっていく思考回路:
失踪10日ほど前に1月分の給料を渡す際に、彼女が初めて翌月分も前倒しでくれないかと言ってきたのを思い出しました。めずらしいことだったのですが、あまり人を疑わない私。1月分と2月分の2か月分をまとめて渡してしまいました。2月5日に失踪しているということは2月分の給料は最初からネコババするつもりだったということです。

計画的失踪。

シリーズは続く。

8.21.2012

メイドさん(その5)

大人気メイドさんシリーズ第5弾。

雲行きが怪しいのを認識したまま特に対策もとらず(その時々で対処はしても大きなビジョンをもってロングタームに対応する対処はしていない)、契約を交わして1年が経過した頃の話です。

今年2月、ちょうどアメリカから母が遊びにきていたので初めて子供たちをリゾートに連れて行く計画をしました。名付けて「3泊4日プーケット4つ星ホテルに泊まって思い切り東南アジアのリゾートを満喫する旅」。子供たちはもちろんのこと、私も初めて東南アジアの国へ観光旅行で行くことになりました。

象のショーやプールやバーでのフレッシュジュースなどいろいろと楽しんで帰ってきた日、玄関を開けて見つけたのは驚きの置き手紙(写真)。
要約すると、
ごめんなさい、アキコさん。主人(結婚はしていない)についてクアラルンプールに行くことになりました。突然決まったことでこのような形でいなくなって申し訳ありません。アナタは本当によい雇用主でした。本当にごめんなさい...
あ、こりゃ逃げたんだわ。どうしよう。

(以降頭真っ白、再び頭が回転し始めるのに数分要す)

次回に続く。

8.20.2012

入国拒否

さて昨日2カ月ぶりに子供たちがシンガポールに戻ってきました。彼らの夏休みはだいたいサンディエゴと日本に長期滞在するのですが、私も2カ月ぶりに会うので楽しみに空港に迎えに行きました。

「今日はいつもより出てくるのが遅いなぁ」と考えながら出口付近で待機していると突然携帯が鳴りました。

空港スタッフ:×○×○のお母様ですか、申し訳ありませんが、入国拒否ということで....
私:は?Dependant's passを所有していてシンガポールに長期滞在しているのに、なぜ入国拒否なのですか。しかも子供ですよ。
空港スタッフ:いいえ、違うのです。今、入国審査のところにいるのですが、本人が入国を泣いて拒否しています。

そうです、入国拒否「される」のなら聞いたことがあっても、我が子はシンガポールへの入国を拒否「している」のです。

私:は?ひきずってきてください。
空港スタッフ:よろしいですか?(鼻息)それでは今から参ります。

そんな会話がチャンギ空港ターミナル2内でなされているとは周囲の誰も知らず。

そこから待つこと更に30分。彼らの荷物はもうすでに私の目の前でカートに乗せられ所有者がくるのを待っています。

裏でどんなドラマがあったのでしょうか。やっと姿を現した彼は上記会話通り、空港スタッフ(男性)に「ひきずられて」出てきました。次男は抱っこされています。カートに乗せられ出てきたときの状態は下の通り。

そこから私は荷物と彼らを受け取り、「日本に帰りたい~」と騒ぐ中タクシーに乗せて帰路につきました。車の中では新学年の新担任について、学校のスケジュールについて、シンガポールの家に買った新しい家具についてなど話を聞いていくうちに徐々に落ち着いてきてくれました。


入国審査は「楽しい夏休み終了」の象徴だったのか?

子供たちがシンガポールに戻ってきたので、このブログもどんどんこのような突拍子もないネタが増えていくことでしょう....



8.17.2012

フードコート

昨日は和食店について書きましたが、そんな毎日外食で和食ばかり口にしているわけではありません。

シンガポールといえばバラエティに富んでいる食文化です。

そんな中で究極のB級グルメは地元のフードコートにあります。以下にその特徴を列挙します。

<種類>
中華はもちろん、シンガポールの多民族国家を象徴するようにマレー料理、インド料理、韓国料理、日本料理などがあります。フードコートの日本料理は少し脂っこくて胃にもたれるので、個人的には避けています。

<安い>
お金がない日はS$3-4(200-300)でお腹いっぱいにすることができ、その場で仕上げてくれるので出来立て感は十分。

<サービス精神欠如>
日本人的感覚でいうと客はほとんど怒られながらオーダーしているような気分です。
相手(たいていノーメークの怖いおばさん):「あん?何か欲しいの?」
私:「あ、はい。できれば×○×○をいただきたいのですが...」(いつになくした手)
相手:「そんで?辛くする?」
私:「あ、あまり辛くしないでください。持ち帰りで」
相手:4ドル」
私:「すみません、50ドル札しかないのですが」
この時点で相手の機嫌はなぜか不可逆的に悪くなっており、何も悪いことをしていないのにオーダー中にだんだんとへこんでいく私です。

<中国語が上達する(ようなしないような)>
シンガポールは人口の85%が中国系ですし、中国本土から働きにきている人が多いのか、とにかくフードコートのスタッフは中国語を好んで話します。インドネシアからベトナムから中国に至るまでアジアのどの国に行っても中国系ローカルに見られる私のomnifariousな顔ですが(単に肌が焼けてシミが増えただけ)、シンガポールでももちろん中国語で話しかけられます。そんなときでも焦らないために、(個人的な)基本だけは押さえました。
1.打包(dabao;持ち帰り)
2.四si kuai;4ドル)
3.有没有生啤酒?(you mei you sheng pijiu; ビールありますか)
4.不要太辣了(bu yao tai la le; あまり辛くしてないでください)
後は身ぶり手ぶり&愛嬌で乗り越えています。

シンガポールでまともなレストランや食事処で食事をとった場合、GST(消費税7%)とサービス料10%が後から自動的に請求されます。したがってレストランで支払いの段階になってメニューに表示されていた値段よりもだいぶ高く感じることが多々あります。そんな中、種類豊富で美味しいシンガポールのフードコートは、サービスが欠如していてオーダーするときに少しどんよりな気分になってしまっても毎日通ってしまうから不思議です。

ちなみに、お昼時に混雑しているフードコートで席をとっておきたい場合は、ポケットティッシュか新聞紙をその席に置いておくと誰もそこに座ろうとしません。私自身の感覚からすればポケットティッシュみたいな安いものが置いてあったら「誰か忘れて行ったのかな」と思ってそこは空席だと思い込んでしまいそうですが、シンガポールではポケットティッシュは場所取りの大事な道具なのです。

あっぱれシンガポールのフードコート!